古都ブログ
本能寺
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本能寺は、日蓮大聖人の教えを弘める法華宗本門流の大本山です。
戦国武将・織田信長が討たれた歴史的大事件「本能寺の変」でもあまりにも有名です。
本能寺は現在、寺町御池にありますが、「本能寺の変」があった当時は、
西洞院四条あたりにあり、今よりもっと広大な敷地で、お寺の周りを高い塀と深い堀で囲われており、
京都でも随一の大寺院であったそうです。
そのため、信長は京都の滞在時には本能寺を常宿にしていました。
本能寺の変後、直ちに同じ場所に寺を再興することが決まりましたが、
豊臣秀吉の命令により、現在の場所へ移転させられました。
また、本能寺は何度も再建を繰り返してきた寺院です。
本能寺に行ってみますと、本能寺の「能」の字の右側のつくりの部分の、
2つの「ヒ」が「去」のような字を使っています。
これは本能寺が何度も焼き討ちに遭っている為、『ヒ』(火)が『去』る、
という意味で字形を変えているといわれています。
京都御苑
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京都御苑は、14世紀から明治2年(1869年)までの間の「内裏(禁裏)」
すなわち歴代天皇が居住し儀式・公務を執り行った場所です。
京都が1000年もの間に日本の都だったのも、
日本の国家元首である天皇の宮殿が京都にあったからです。
現在は、公園として市民の憩いの場となっており、
地元の人の愛されスポットです。
また、桜や紅葉が美しい季節には、多くの観光客が足を運びます。
敷地も広く、ゆったりと観光ができる京都のおすすめスポットです!
先斗町
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先斗町(ぽんとちょう)は京都で有名な花街の1つとして知られています。
先斗という語源には、色々な説があるとされています。
一説によれば、先斗町が鴨川と高瀬川の2本の川に挟まれていることを、
皮と皮に挟まれた鼓にたとえられ、その鼓の叩く「ポン」という音から
「ぽんと」と呼ばれるようになったとか・・・
また、ポルトガル語のponto(「先」の意)からそう呼ばれるようになったという説も。
当初、この地では、高瀬川を上り下りする船頭や旅客のための旅籠屋や茶屋が建ち並んでいました。
現在では、茶屋はもちろん多くの料亭や「鴨川をどり」で有名な歌舞練場などがあります。
ちょうどこの時期には、夏の風物詩でもある「川床」がでており、
河原沿いがいつもより賑わいをみせています。
KYOTO TOWER SANDO
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京都タワー夜景です。
今年の4月にリニューアルオープンされています。
「KYOTO TOWER SANDO」。
京都を味わう食べ歩きが楽しいフードホール、京都らしい逸品が集まるマーケット、
和文化に触れるワークショップ体験など・・・
これまでにない京都を楽しめるショップが集まっています。
観光で来られた方ももちろん、お仕事帰りにサクッと飲みにいきたい方にも
おすすめです!
莵道稚郎子の墓
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宇治といえば、「源氏物語」の舞台で有名ですが、
今回は宇治のマイナースポットである「莵道稚郎子の墓」にまつわる
悲劇の物語をご紹介します!
莵道稚郎子(うじのわきいらつこ)は、第15代・応神天皇の子で、
第16代仁徳天皇の異母弟にあたる皇子です。
幼い頃から学問に秀で、応神天皇に望まれ一度皇太子になったのですが、
兄の仁徳天皇と皇位を譲り合って自ら命を絶ち、兄に皇位を譲った。
・・・という美談が残っているそうな。
現在では、前方後円墳に成形され、見学も自由にできます。
歴史に想いを馳せながらぜひ一度訪れてはみてはいかがでしょうか。