古都ブログ
大原口の道標
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寺町今出川にあるこの道標は、
慶応4年(1868)に地元の人たち19名によって建てられたものです。
江戸時代の寺町今出川は大原口といわれる重要な辻でした。
4面に方角とともに22か所もの目的地名が距離とともに細かく示されていて、
まだ交通が発達していなかった当時、とても有難い存在だったのだろう・・・。
良質の花崗岩に文字が刻まれており、距離の正確さからも、
全国的に見ても最も優れた美しい道標といわれています。
道標は当時の交通の様子を知ることができる貴重な資料のため、
現在、史跡として京都市登録文化財になっています。
野宮神社
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野宮神社は、嵯峨野の竹林地帯の中にあり、特に縁結びのご利益で有名な神社です。
野宮の地は元々、天皇の代理として伊勢の神宮に奉仕する「斎王」が身を清める場所でした。
斎王は、天皇が変わると新たに任命され、野宮の地もその度に変わります。
そのため、平安時代には嵯峨野一帯に野宮が設けられたのですが、
その中で神社として後世に残ったのがこの野宮神社なのです。
野宮神社には、源氏物語にも出てくるという珍しい鳥居、「黒木鳥居」があります。
樹皮のついたままの鳥居で、この形式は鳥居の中で原始的で最も古いものといわれています。
その他にも、祈りを込めて撫でると願いが叶うという神石(亀石)があったりと
ご利益いっぱいのパワースポットとして平日でもたくさんの人で賑わっています。
西陣舟橋
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この石碑は堀川今出川交差点の西北にある鶴屋吉信の前に建っています。
この辺りは古くから舟橋と呼ばれていますが、昔、堀川が氾濫したとき、
舟を繋いで橋としたことからおこったといわれています。
文献によると、この地に足利尊氏の執事であった高師直の邸があったそうな。
高師直は、鎌倉時代後期から南北朝時代の武将であり、
室町幕府成立の立役者と言っても過言ではない人物です。
その高師直の泉殿の下に流れる堀川に、
舟橋を浮かべて結構を尽くしたのが地名になったとも記されています。
栗田神社
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粟田神社は、三条通神宮道を東に入った所にあります。
京都の東の出入口である粟田口に鎮座する為、
古来東山道・東海道を行き来する人々は旅の安全を願い、
また道中の無事を感謝して参拝にこられ、
いつしか旅立ち守護 ・旅行安全の神として知られるようになりました。
10月に行われる「粟田祭」は、一千年の歴史を持ち、
室町時代には祇園祭ができなかった時の代わりの祭りとして
行われたといわれています。
また、粟田祭で巡行する剣鉾は祇園祭の山鉾の原形ともいわれています。
辰巳大明神
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辰巳大明神は、京都を代表する街並みで有名な祇園白川にポツンとたたづむ小社です。
「辰巳神社」「辰巳稲荷」とも呼ばれ、詳しい創建の歴史や由緒は不明ですが、
元々は京都御所の辰巳の方角=南東を守る神社だったといわれています。
狸を祭神として祀っている由来には、
昔、巽橋にいたずらな狸が棲んでおり、橋を渡る人を化かしては川の中を歩かせていた。
難儀した人々はこの狸の為に祠を建て神様として祀ったところ、
いたずらは止んだそうな・・・。
現在では、芸子さんや舞妓さんたちを中心にした、
祇園芸能に関連する人たちからシンボル的な存在として親しまれており、
芸上達の御利益があると信仰されています。