旧京都市立下京中学校成徳学舎
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昭和6年に創立された成徳小学校として建築されました。
昭和22年に元成徳中学校となり、2007年3月に閉校しました。
現在は下京中学校に統合されています。
1階はアーチ状、2階は四角い窓、3回は縦長の窓といった形で、
それぞれ異なる窓になっていますね。
春には桜が咲くので、建築と相まって雰囲気もいいですよ。
四条通りから歩いてすぐなので、地元の方だけでなく
観光でお越しになった方も
じっくり眺めていらっしゃいます。
昭和6年に創立された成徳小学校として建築されました。
昭和22年に元成徳中学校となり、2007年3月に閉校しました。
現在は下京中学校に統合されています。
1階はアーチ状、2階は四角い窓、3回は縦長の窓といった形で、
それぞれ異なる窓になっていますね。
春には桜が咲くので、建築と相まって雰囲気もいいですよ。
四条通りから歩いてすぐなので、地元の方だけでなく
観光でお越しになった方も
じっくり眺めていらっしゃいます。
南観音山(みなみかんのんやま)は、巡行する曳山のひとつです。
御神体は楊柳観音と善財童子。
後祭山鉾巡行の前日である7月23日の深夜に、
御神体の楊柳観音を神輿にくくりつけて揺らしながら、
町内を3周するという行事があり、
「あばれ観音」と呼ばれています。
この撮影日は、7月23日14時前でしたのでちょうど
修験道にゆかりある山鉾町を聖護院の山伏が
回っている最中でお経を上げていらっしゃいました。
明治45年(1912)に九世久重によって制作された
山鉾一の凛々しい美少年と評判のお稚児さんだそうです。
宵山までは金色の烏帽子を被り、
巡行の際には孔雀をあしらった豪華な金の天冠を被るのが慣わし。
今年は残念ながら鉾立も巡行もありませんでしたが、
16日の宵山、冠に変わり、
金弊をつけ巡行と同じ状態で展示されていました。
「厄除けちまき」の授与は今年も例年通り。
京都の夏が来たと感じます。
京都市役所の横にある石碑です。
市役所が建替えられ、こちらの石碑のまわりも
整備され綺麗になりました。
越前鯖江藩主であり、寺社奉行・大坂城代・京都所司代を
歴任して老中となった方で、安政5年9月に、
政府が調印した日米修好通商条約に激怒した
孝明天皇を説得するため上京した際に滞在した
妙満寺の跡を示すものだそうです。
こちらにもお寺があったんですね。
十円玉の表側、平等院です。
藤原頼通によって開かれた寺院で、
本尊は阿弥陀如来坐像が鎮座されている世界遺産です。
平安初期頃、宇治は貴族の別荘地だったそうで、源氏物語のモデルである
嵯峨源氏の源融が営んだ別荘だったものが
宇多天皇に渡り、天皇の孫である源重信を経て
長徳4年(998年)、摂政藤原道長の別荘「宇治殿」となり、
その子供の関白・藤原頼通が、永承7年(1052年)に
宇治殿を寺院に改めて「平等院」となったそうです。
現在の景観になったのは、度重なる戦いによって鳳凰堂(阿弥陀堂)のみが焼け残ったためだそうで、
元は堂塔が立ち並び、このような景観をしていなかったそうです。
庭も含めて、この世の極楽浄土を表しているとされています。
市内の観光も良いですが、宇治の雰囲気はまた違いますし、
宇治茶・お抹茶のスイーツも美味しいので、ぜひ足を運んでみてください。