六角堂・へそ石
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本堂の前にはへそ石という石が埋まっています。
京都の中心にあるのでそのように呼ばれていましたが、
元々は門の前にあったそうで、明治に移動したそうです。
六角堂HPによると平安京造営時、
本堂の位置に道を通すために祈ったところ、
堂が少し北の現在地へ移動し、もとの位置に石が一つ
残ったという伝説から、「本堂古跡の石」ともいうそうです。
本堂の前にはへそ石という石が埋まっています。
京都の中心にあるのでそのように呼ばれていましたが、
元々は門の前にあったそうで、明治に移動したそうです。
六角堂HPによると平安京造営時、
本堂の位置に道を通すために祈ったところ、
堂が少し北の現在地へ移動し、もとの位置に石が一つ
残ったという伝説から、「本堂古跡の石」ともいうそうです。
朱の建物は太子堂と呼ばれ、六角堂を創建した聖徳太子を祀っています。、
平安時代以降、六角堂を一つの拠点として、京都に太子信仰が広まっていきました。
太子堂の西側、池の中にある石でできた井筒は、
聖徳太子沐浴の古跡と伝えられる場所だそうです。
当時このあたりにあった池に太子が入り、身を清めたと伝えられます。
その池のほとり、現在の池坊会館の位置に僧侶の住坊が建てられ、、
池坊と呼ばれるようになったそうです。
今は池がよみがえり、2羽の白鳥と、大きな鯉が複数泳いでいます。
京都の街中で、白鳥が見られる場所はとても貴重で、
数年前になりますが、赤ちゃんも生まれたそうで、見たかったなと思います。
白鳥は死ぬまで添い遂げるそう。
この日も2羽仲良く会話しているようでした。
旦椋遺跡の石碑です。
旦椋神社周辺に広がる古墳時代後期の古墳群と飛鳥時代の集落跡、
鋳物房跡が見つかっている遺跡だそうです。
古墳時代の豪族、栗隈氏(くりくまし)の拠点と
推定される場所で、古墳時代後期(6世紀後半)の
小型円墳(直径18~20m)1基と飛鳥時代(7世紀)の竪穴住居跡
6棟が見つかったと発表されています。
旦椋(あさくら)神社は近鉄京都線「大久保」駅より徒歩約7分ほど。 宇治市にある神社です。
栗隈天神・胄神社とも呼ばれています。
日本書紀(720年)に栗隈県くりくまのあがたの
大溝おおうなで(栗隈大溝)の東側(地名旦椋)
あったらしいと記載がありますが、1550年に焼失したそうです。
祭神は、高皇産霊命、神皇産霊命、天満天神だそうです。
1983年、京都府の「旦椋神社文化財環境保全地区」に指定され、
1984年に本殿と7枚の本殿棟札が京都府登録有形文化財に指定されています。
境内には立派な樫の木があり、趣ある雰囲気を醸し出しています。
ぜひ、足を延ばしてみてください。
南座の西側には、 茶色の丸い石碑があります。
このあたりの鴨川の河原では勧進興行が常設的に催しており、
出雲のお国が「かぶき踊り」を演じたとされ、
現在の歌舞伎の発祥とされているためです。
1600年代に四条河原町付近に、7つの座をひらくことが
認められて運営をされていたようですが、
何度も大火に見舞われ徐々に数を減らし、南座と北座のみ残ったそうです。
明治26年に北座もなくなり、
1906年には、現在の松竹株式会社による経営になったそうです。