大光寺
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伏見の大手筋商店街の中にある浄土宗のお寺です。
鎌倉時代に開基され、薬師堂には耳の病気に救いの手を差し伸べて下さる
「手接の薬師(てつぎのやくし)」が安置されていることから、
耳の病気の治癒にご利益があると親しまれています。
薬師堂は皇族・華頂宮家の旧御殿を移築したものとされます。
桃山様式の堂々とした建築物です。
屋根の妻に見られる懸魚や軒下の木鼻など、細部の意匠にも技が光ります。
伏見の大手筋商店街の中にある浄土宗のお寺です。
鎌倉時代に開基され、薬師堂には耳の病気に救いの手を差し伸べて下さる
「手接の薬師(てつぎのやくし)」が安置されていることから、
耳の病気の治癒にご利益があると親しまれています。
薬師堂は皇族・華頂宮家の旧御殿を移築したものとされます。
桃山様式の堂々とした建築物です。
屋根の妻に見られる懸魚や軒下の木鼻など、細部の意匠にも技が光ります。
菅原道真公をご祭神としておまつりする、
全国約1万2000社の天満宮・天神社の総本社である北野天満宮。
境内の一部にある「もみじ苑」では、12月初めまで紅葉のライトアップが開催されています。
約300本の紅葉を有し、中には樹齢350年から400年の長寿のものも存在するという。
ぜひこの時期限定の美しい景色を見に、足を運ばれてみてはいかがでしょうか?
先日、新撰組のゆかりのあるお寺として「壬生寺」をご紹介しましたが、
今回は新撰組が京都で最後の駐在所とした「まぼろしの屯所」を
ご紹介いたします。
”まぼろし”といわれている所以には、王政復古の政変により、
わずか半年しか使用されていなかったこと。
他にも、厳密な場所や規模、建物構造などについては信用に足る史料が少なく、
今回紹介した石碑の辺りが有力とされているが、確証がない点から
“まぼろし”といわれているそうな・・・。
この屯所は、新選組の最盛期の屋敷だったそうですが、
翌年の鳥羽伏見戦争の敗北の後は、関東へ下り、解体の道へと歩んでいきました。
壬生寺は京都では珍しい律宗(中国で興った仏教の一宗)寺院です。
中世に融通念仏の円覚上人が寺を再興しました。
その円覚上人が創始したとされる、
重要無形民俗文化財の「大念仏狂言」を伝える寺としても有名です。
「大念仏狂言」とは、群衆を前に法会「大念仏会」を開いた際、
後ろの人にもわかるよう、声ではなく身振り手振りで仏の教えを説いたのが
始まりとされる無言劇です。
また、新選組ゆかりの寺としても知られています。
当時、境内は新選組の兵法調練場に使われ、武芸などの訓練が行われたという。
その縁で境内には局長近藤勇の銅像や、新選組隊士の墓である壬生塚があります。
堂々とたたずむ大鳥居。国の登録有形文化財にも指定されています。
建設当時は国内最大の鳥居でした。
高さは24m、幅は18mもあり、当時これだけの大きな鳥居を木材や石材でつくることは
困難であったため、平安神宮が完成してから30年余り鳥居がない状態が続いていたという。
昭和天皇の即位をきっかけに、やっと大鳥居建設計画がスタートされました。
現在では、岡崎エリアのシンボルとしてとても親しまれています。