古都ブログ
渡月橋
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渡月橋は嵐山のシンボル的な存在で、
四季折々素晴らしい景観を楽しむことができる人気の観光スポットです。
渡月橋と呼ばれるようになったのは、
鎌倉時代に亀山天皇が、満月の晩に舟遊びをされた際に、
月が橋の上を渡るように見え、
「くまなき月の渡るに似る」と詠われたことに由来しています。
この地に最初に橋をかけたのは、空海の弟子である道昌という僧でした。
その後、橋は洪水や戦乱などによって度々破壊されており、
その度にかけ直してはまた壊れ・・・
というのを歴史と共に何度も繰り返してきました。
現在の渡月橋は、昭和9年に造られたものです。
橋脚が鉄筋コンクリート製で、上の欄干部分は和製のヒノキで出来ています。
毎年12月には、「嵐山花灯路」という期間限定のイベントが開催され、
渡月橋がライトアップされます。
周りの山々や水辺も幻想的に照らされ、非日常の景色が拡がります。
神明神社
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街中にひっそりと佇む白色の鳥居。
神明神社は、かつて榎の大木があり、「榎神明」ともいわれていました。
この社にまつわる面白い言い伝えがあり、
それは「平家物語」の中にも登場しています。
平安時代末期の近衛天皇の時代、
頭は猿、尾は蛇、手足は虎の「鵺」という怪鳥が出没して、
毎夜都を騒がせていました。
弓の名手として知られていた源頼政は、
勅命によってこの鵺退治を命じられます。
頼政は神明神社に参籠して退治の成功を祈願し、
見事この怪物を退治することができました。
頼政は神明神社の御加護に感謝して、
この時に使った弓矢の「鏃(やじり)」2本を奉納しました。
「鏃(やじり)」は今でも9月の第2土曜日とそれに続く日曜日の
祭礼の時に飾られています。
柳の水
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三条西洞院にある柳の水は、千利休も茶の湯に用いた名水として有名です。
井戸のそばに直接陽が射すのを避けるために柳を植えたことから、
この名で呼ばれるようになったそうです。
現在、柳の水は、地下25メートルの位置からポンプで汲み上げられており、
実際に汲んで味わうことができます。
このあたりは昔、織田信長の三男信雄の屋敷跡でしたが、
現在は黒染めの老舗である「馬場染工場」が建っています。
黒染めの命は水とされ、染めに使う水は、
微量の鉄分が含まれていることが重要だそうです。
鉄分は多すぎても少なすぎてもだめで、
多すぎると酸化し、赤く染まってしまいます。
柳の水は最適であり、黒色の発色も良く堅牢度も高くなります。
創業時に、業務用に汲み上げ始めて以来、
1度も枯れずに今もなお染・飲料水として使用され続けています。
サクラビル
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京都といえば寺社仏閣のイメージが強いですが、
実は近代建築も多く見られる町なのです。
特に京都三条エリアには、
明治から昭和にかけて建てられた歴史ある建物が多く点在しています。
三条富小路にあるサクラビルもその1つ。
元々銀行として使われており、大正5年頃に建てられました。
木のきしむ音がどこか懐かしい、ぬくもりを感じられるレトロな内観です。
外観は全体としてルネサンス風ですが、
細部には幾何学的な意匠を用いるセセッションと呼ばれる様式が用いられています。
現在は重要文化財になっており、テナントビルとして活用されています。
高瀬川
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鴨川の分流である高瀬川は江戸時代、
嵯峨の豪商・角倉了以と息子の素庵により開かれた運河です。
京都の中心~伏見間の物資の輸送として使われ、
経済の発展に貢献しただけでなく、
鴨川の氾濫を治める役割も果たしてくれていました。
高瀬川は水深が約30㎝と浅いため、
底が平らな「高瀬舟」と呼ばれる小舟が用いられていました。
「高瀬舟」というと森鴎外の代表作でも有名ですが、
その物語の通り、高瀬川では物資だけではなく、
島流しの罪人や稲荷の初午詣での人々も運んでいました。
およそ300年もの間、
京都・伏見間の水運の大動脈として重宝されていましたが、
現在では輸送の機能は廃止され、穏やかな流れと共に、
四季折々の情景を楽しめるスポットになっています。