廣野了頓邸跡
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三条衣棚通りを下がったところに
「廣野了頓(ひろのりょうとん)邸跡」の碑があります。
安土桃山時代の著名な茶人、廣野了頓の屋敷があった場所です。
かつて、このあたりでは清水が湧いていたらしく
民家の裏には「了頓井」という井戸もありました。
廣野家は足利家の従臣で
義晴、義輝の時代にこの地を領有していました。
その末裔である廣野了頓は
ここに茶亭を構えて茶道を広めたそうです。
当時、豊臣秀吉や徳川家康も了頓邸を訪れて
お茶を楽しんだそうですよ。
三条衣棚通りを下がったところに
「廣野了頓(ひろのりょうとん)邸跡」の碑があります。
安土桃山時代の著名な茶人、廣野了頓の屋敷があった場所です。
かつて、このあたりでは清水が湧いていたらしく
民家の裏には「了頓井」という井戸もありました。
廣野家は足利家の従臣で
義晴、義輝の時代にこの地を領有していました。
その末裔である廣野了頓は
ここに茶亭を構えて茶道を広めたそうです。
当時、豊臣秀吉や徳川家康も了頓邸を訪れて
お茶を楽しんだそうですよ。
「菁々塾跡(せいせいじゅくあと)」という石碑が
高倉錦小路にあります。
菁々塾とは、幕末から明治の頃
西谷淇水(にしたに きすい)という寺子屋経営者が立てた私塾です。
菁々塾はその後「菁々堂」、「私立菁々校」と名前を変えて
私立学校として続きましたが、
昭和の始めに廃校になったと言われています。
知名度はとても低い西谷淇水ですが
京都の番組小学校という、日本最初の小学校を開設し
四番組小学校(現在の高倉小学校)の教員を務めたなど
京都の初等教育の基礎を作った、密かに偉大な人物です。
「八坂の塔」は、法観寺に建つ五重塔です。
法観寺自体はそれほど有名な観光スポットではありませんが
「八坂の塔」といえばピンと来る人も多いくらい
京都を代表する景観のひとつです。
八坂通りから眺める八坂の塔は絶景で
石畳の細い路にそって古民家風の建物が並ぶなか
通りの奥に凛と建っている姿は
まさに京都の風情、といった雰囲気です。
今は手前にある枝垂桜も開いてきています。
実は桜の木と八坂の塔との組み合わせを楽しめるポイントって
意外と少なく、貴重なんですよ。
東山のシンボル的存在である八坂の塔を
眺めながら歩く八坂通は、お勧めです。
室町通を四条通の近くまで来たところ。
室町時代、このあたりには夷をお祀りする社があり
境内に「菊水の井」という名水の井戸がありました。
千利休の師匠、武野紹鴎(たけのじょうおう)が
この名水をこよなく愛し、ここで庵を営んで
お茶を点てるときに使っていたと言われています。
因みに祇園祭の「菊水鉾」もこの井戸から名づけられました。
平成15年まではここに能楽堂があって
井戸も残っていましたが
能楽堂の移転と同時に井戸は無くなり
今はこの石碑だけが立っています。
道を歩いていると何かしら石碑が立っている京都ですが
祇園祭で何度もこの辺りを通っているのに
全然気づきませんでした。
この「菊水」にちなんで作られた
「したたり」 という和菓子もありますよ。
まだ気が早いですが、祇園祭の頃になったら
チェックしてみてくださいね。
京阪伏見桃山駅と近鉄桃山御陵前駅の間のビルの緑地帯に
「京阪バス発祥之地」と書かれた大きな石碑があります。
「京阪バス」は「桃山自動車」として大正11年に始まり
当時は京阪伏見桃山駅から伏見桃山御陵までの
約800メートルを、参拝客を輸送するために
自動車11台でハイヤー営業をしていたそうです。
その後合併や分離を繰り返して
現在の「京阪バス株式会社」になりました。
京都、大阪、滋賀、奈良を走る京阪バスも
元々は800メートルの輸送から始まったのかと思うと
千里の道も一歩からですね。
現在は伏見桃山駅前では京阪バスの乗入れはありませんが
バスファンにとっては有名な場所なのかもしれません。