小畑川
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小畑川は、淀川水系の一級河川で、
古くから田畑を耕してきました。
JRや阪急に乗り、大阪方面に出る際には必ず通過します。
こちらは長岡京の水域で撮影したものです。
別名、明智川と呼ばれ本能寺の変の後に、、
亀岡城に向かう途中落馬した明智光秀と村人との逸話が、
残る場所があるそうです。
小畑川は、淀川水系の一級河川で、
古くから田畑を耕してきました。
JRや阪急に乗り、大阪方面に出る際には必ず通過します。
こちらは長岡京の水域で撮影したものです。
別名、明智川と呼ばれ本能寺の変の後に、、
亀岡城に向かう途中落馬した明智光秀と村人との逸話が、
残る場所があるそうです。
高さ1.5メートル、幅3メートルの絵馬の形をした
巨石で穴に入って良縁をきり、悪縁を断つそうです。
訪れる人が多く先に行列に並びたくなりますが、
まずご本殿にご参拝いただき、「形代」に
切りたい縁・結びたい縁などの願い事を書いて、
「形代」を持って願い事を念じながら、碑の表から
裏へ穴をくぐるそうです。
そして最後に「形代」を碑に貼るそうです。
阪急河原町駅や京阪祇園四条駅からも
歩いていける距離ですので
ぜひ足を延ばしてみてください。
京都市東山区三条通に石碑が立っており説明文も書かれております。
青蓮院の旧境内だったということで、
その本堂で、坂本龍馬と妻お龍が内祝言をあげたそうです。
青蓮院が当時はもっと大きかったんですね。
池田屋事件などが起きたばかりで、別居しながらの
生活をされていたということです。
三条通は平安神宮までの道のりとして
歩く方が多い通りですので、
観光の際には見つけてみてください。
鴨長明は、鎌倉時代前期の歌人、随筆家で、
転々とした鴨長明がすみかとした場所で河合神社の中にあります。
長明は1155年、賀茂御祖神社(下鴨神社)の禰宜だった
鴨長継の次男として誕生しました。
1204年、後鳥羽院から河合神社の禰宜に推挙されましたが、
反対にあい、出家したそうです。
世の無常と人生のはかなさを『方丈記』に書いたそうです。
新古今和歌集にも載っている有名な歌人です。
「大手筋の妙見さん」と呼ばれているお寺です。
日蓮宗本法寺派。本尊は一塔両尊で、洛陽十二支妙見めぐりの干支7番目です。
大きなかりんがちょうど良い具合に実っている最中で
どなたかが落ちていた果実を置いたようです。
開運厄除、旅行安全、家内安全の信仰を集めており、
安土・桃山時代、1594年、教行院の日受上人により創建されたそうです。
伏見城大手門近く、西浜堺町に小庵を建てたことに始まりました。
徳川家康の次女、督姫(良正院)とも縁が深いそうです。