當道職屋敷址
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こちらに、男性視覚障がい者の方の組織があったそうです。
琵琶法師明石覚一という方が、平曲家の等級を整備したそうで、
覚一の邸宅を職屋敷と呼び、盲人の技芸試験・裁判・売官などが行われていたそうです。
のちに当道座は江戸幕府から保護を受けて、
全国盲人支配機関となりますが、明治4年当道制度が廃止されたことで、
同屋敷も廃されました。
この石標は当道職屋敷跡にあります。
こちらに、男性視覚障がい者の方の組織があったそうです。
琵琶法師明石覚一という方が、平曲家の等級を整備したそうで、
覚一の邸宅を職屋敷と呼び、盲人の技芸試験・裁判・売官などが行われていたそうです。
のちに当道座は江戸幕府から保護を受けて、
全国盲人支配機関となりますが、明治4年当道制度が廃止されたことで、
同屋敷も廃されました。
この石標は当道職屋敷跡にあります。
鴨川、四条大橋近くに来ていた鵜です。
五条橋あたりでは鵜をみかけるのですが、
四条橋にはあまり来ないためとても目立ちました。
30M近く潜り、水面には航跡派が2本。魚を何匹も取っている様子でした。
鴨川の周辺ではアオサギ、シロサギ、トンビ、
カモ、セキレイ、カラス、カモメ(ウミネコかもしれません。)
ハシビロコウもたまに見かけます。
朝方に多いのでぜひ京都に来た際には、
散歩がてら鴨川散策もいかがでしょうか?
伏見地区の産土神で、御香宮と申します。
御神徳 安産守護・子育ての神様です。
伝承によると、境内より良い香りの水が湧き出したそうで、
その水を飲むと、病が治ったということで清和天皇から
「御香宮」の名を賜ったそうです。
湧水は「御香水」として名水百選に選定されています。
豊臣秀吉が、伏見城の守り神としたゆかりの地です。
平安時代の末に京都を離れる際の旅の
無事を祈り、京都の七口にお地蔵さんを安置されました。
西光法師は七道の辻に6体の地蔵菩薩を安置し、
「廻地蔵」と名付けたそうで、その後の六地蔵巡りにも
つながっているようです。
江戸時代の愛宕山の地蔵は火伏せの神でもあったことも
関連しているそうです。
白川の横手にかにかくに かにかくに碑があります。
昭和30年に建てられたそうです。
吉井勇の作で祇園の思いを詠んだものだそうです。
もともとは石畳がなく、とても有名なお茶屋さんを
中心にお茶屋さんが立ちならんでいたそうです。
夏目漱石なども訪れたそうです。
今でも毎年11月8日に 「かにかくに祭」が
祇園甲部お茶屋組合によっておこなわれているそうです。