伏見街道(京都通り名・街道シリーズ④)
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五条通りから南下し京都市の東部を
南北に走る全長約6キロの道路「伏見街道」。
桃山時代に伏見城を築いた秀吉が、
京都と伏見を繋ぐ道を必要とし
「伏見街道」が作られたそうです。
沿道には観光地として有名な
「東福寺」や「伏見稲荷大社」があり、
現在の本町1丁目が伏見街道の北端だそうです。
伏見街道沿線には数多くの小学校、銭湯、
昔ながらの民家が立ち並んでいます。
多くの人が住み、昔から主要道路だったと感じとれます。
五条通りから南下し京都市の東部を
南北に走る全長約6キロの道路「伏見街道」。
桃山時代に伏見城を築いた秀吉が、
京都と伏見を繋ぐ道を必要とし
「伏見街道」が作られたそうです。
沿道には観光地として有名な
「東福寺」や「伏見稲荷大社」があり、
現在の本町1丁目が伏見街道の北端だそうです。
伏見街道沿線には数多くの小学校、銭湯、
昔ながらの民家が立ち並んでいます。
多くの人が住み、昔から主要道路だったと感じとれます。
鳥羽街道とは、平城京の玄関口として知られる羅城門跡から
南下する「鳥羽作り道」として作られたのが由来。
鳥羽街道は全長、約9km。
千本通から羅城門を南下し、伏見区の淀まで続いているそうです。
1868年に鳥羽街道の小枝橋付近で起こった
新政府軍と幕府軍との間での衝突によって、
「鳥羽・伏見の戦い」が起こり、沿道は戦いの場だったそう。
また鴨川と桂川に隣接していて当時は直線の道でしたが、
時代が経つにつれて河川の流れが大きく変化し、
次第に蛇行するようになったそうです。
「大坂街道」とは大坂と京都を結ぶ道で、
豊臣秀吉によって1594年から1596年に
淀川左岸の築堤工事がなされ築かれたそう。
そして大坂から京都への最短ルートとなったそうです。
向かう方向の地名で街道の名前が呼ばれていたそうで、
同じ街道でも大坂から京都へ向かう場合は「京街道」、
京都から大坂へ向かう場合は「大坂街道」と2つの名前が
あったそうです。
京都と奈良を繋ぐ街道を
「奈良街道(大和街道)」と言います。
距離は京都、奈良間40km程度で、
京都側からは「奈良街道(大和街道)」と呼び、
奈良側からは「京街道」と呼ばれるそうです。
歴史的理由からも京都南部に「巨椋池」があったことからも
迂回するため複数のルートが存在するそうです。
多くの歴史遺産が広がる大和街道は
今でも沢山の歴史に触れることができます。
奈良街道とその土地の歴史を見られることが
大和街道の魅力みたいです。
「周山街道」(国道162号)は、
京都御室仁和寺前から京北の周山へ続く道です。
周山へ続く道で、「周山街道」。
京北までの道のりには、沿道に紅葉の美しい高雄を通過し、
ほとんど片道1車線の山道が続いている。
周山街道を進むと、山に囲まれ川が流れており
京都市内(右京区)とは思えない光景が目の前に広がるそうです。
京都市内から車で少し、四季折々の大自然を味わえるなんて素敵ですね。