仏光寺通り(京都通り名・東西編⑭)
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「仏光寺通り(ぶっこうじどおり)」
仏光寺通は平安京の五条坊門小路にあたり、
名称は1586年(天正14年)に移転してきた
佛光寺の北側に面することに由来する。
江戸期から各種の商家が立ち並んでいたようで、
現在では企業の本社や事務所となってたたずんでいる。
仏光寺通沿道の建造物
・仏光寺
・菅大臣神社
・大行寺 等
「仏光寺通り(ぶっこうじどおり)」
仏光寺通は平安京の五条坊門小路にあたり、
名称は1586年(天正14年)に移転してきた
佛光寺の北側に面することに由来する。
江戸期から各種の商家が立ち並んでいたようで、
現在では企業の本社や事務所となってたたずんでいる。
仏光寺通沿道の建造物
・仏光寺
・菅大臣神社
・大行寺 等
「綾小路通り(あやのこうじどおり)」
綾小路という名がいつごろから使われていたかは定かではありません。
平安京の綾小路にあたり、東は寺町通から新撰組でお馴染みの壬生地区を経て、
右京区西院の葛野東通(かどのひがし)に至る路です。
京都市指定文化財に指定されている杉本家住宅をはじめ、
代々富裕な商人たちが住居を構えてきたと言われています。
現在でもその町屋を沢山見ることができる通りです。
綾小路通り沿道の建造物
・聖徳寺
・光緑寺
・旧前川邸 等
「四条通(しじょうどおり)」
平安京の四条大路にあたり、東は東大路通りから西は長福寺の西に至る全長約7Kmの通りです。
古くから主要な通りだったようで、
1912年(明治45)の道路拡張によって京都市の中心街となり、
祇園祭り、花街、納涼床、百貨店、オフィス街等、経済の中心を成す通りです。
市内外を問わず多数の方が訪れ、歩行者の通行量は市内で最も多く、
近年、脱「クルマ中心社会」のための「歩くまち・京都」計画では
四条通の車線が片道2車線から1車線へと工事されました。
そのため歩道が広くなり、様々な方が快適に通行できるようになりました。
四条通から眺める鴨川はいつも沢山の人で賑わっています。
四条通り沿道の建造物
・春日神社
・南座
・丸山公園
・八坂神社
・大丸京都店
・高島屋京都店 等
「錦小路通り(にしきこうじどおり)」
京都の台所と呼ばれる「錦市場」のある「錦小路通り」。
東は新京極から西は壬生川通に至る全長約1.9Kmの通りです。
昔、通り名は不名誉な呼び名だったのですが、
1054年、第70代・後冷泉天皇の宣旨により
「錦小路」と呼ぶようになりました。
平安時代末期以降、錦小路の通り名が定着したそうです。
近年、京都の観光地としても人気の高い錦市場は、
江戸時代に寺町通より千本通間を「錦小路」と称したそうです。
錦小路通り沿道の建造物
・錦天満宮
・亀龍院
・木下順庵邸跡 等
「蛸薬師通り(たこやくしどおり)」
平安時代は「四条坊門小路」と呼ばれていたが、
16世紀に蛸薬師堂(妙心寺)がこの地に移って以降、
いつしか「蛸薬師通 」と呼ばれるようになった。
新京極通りにある「蛸薬師堂 永福寺」の本尊薬師如来の俗称に
由来すると言われています。
東は木屋町通から西は佐井通あたりまで続きます。
通りの由来になった蛸薬師堂 永福寺の本堂前には、
“なで蛸”という蛸の置物があり、
左手で悪い所を撫でると病気が良くなると言われています。
蛸薬師通り沿道の建造物
・蛸薬師堂 永福寺
・永楽屋 室町店
・旧山口銀行 等