古都ブログ
大宮通り(京都通り名・南北編㉕)
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「大宮通り(おおみやどおり)」
北は御園橋通から、南は久世橋通までの約10kmの路で、
二条城で南北に分断されています。
一説では、「大宮絹」と呼ばれる宮中に納める織物を
任された人々が住まいしていた。
その名残として、織部町や大舎人町といった町名がその歴史を留めている。
しかし現在では織物産業の衰退と共に、
ビル化が進み様変わりする傾向にあるようです。
皇居の通りである「大宮通」と四条通の交差点にある
嵐電(京福)嵐山本線の駅。
阪急京都線大宮駅より20年早い1910年(明治43年)開業の
100年以上の歴史を有する駅で、
開業時の駅名は「京都駅」と名乗られていたそうです。
また、1963年阪急電車が河原町まで延長するまでは四条大宮が
終点だったため街が繁栄している。
大宮通り沿道の建造物
・東寺(教王護国寺)
・神泉苑
・龍谷大学本館
黒門通り(京都通り名・南北編㉔)
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「黒門通り(くろもんどおり)」
北は今出川通から南はJR線の手前、梅小路通まで至る約4.8kmの路。
途中、二条城とその先の西本願寺で中断しており、
さらにJR線を越えた延長上にも、黒門通と称される断片がみまれます。
黒門通の名称由来について、
宝暦12年(1762)刊の「京町鑑」は、
「黒門通といふは太閤秀吉公聚樂城の鐵門の有し通ゆへ號す」として、
この通りに豊臣秀吉の聚楽第の鉄門があったことによると云う。
また、丸太町以北は京都の景観を形成する古い建物が並んでいるようです。
黒門通り沿道の建造物
・真蓮寺門徒会館「三休堂」
・御菓子司「塩芳軒」
猪熊通り(京都通り名・南北編㉓)
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「猪熊通り(いのくまどおり)」
北は御薗橋西詰から南は十条通に至る路。
一条通~九条通が平安京の猪隈小路にあたるそうです。
猪と熊の名の入った奇妙な通り名が、
どのような経緯で出来たのかは
今ひとつはっきりしていないそうです。
猪熊通の北側には、元誓願寺通の先、
今出川通を越えて寺之内通まで延びる延長路があり、
こちらは北猪熊通と呼ばれています。
猪熊通りは、室町時代には小路沿いに酒屋が沢山あり、
正親町小路から唐橋(九条坊門)小路にかけて25軒もの酒屋があったそうです。
現在の猪熊通は住宅街を走る閑静な路となっているようです。
猪熊通り沿道の建造物
・西本願寺
・二条城
・妙蓮寺 等
葭屋町通り(京都通り名・南北編㉒)
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「葭屋町通り(よしやまちどおり)」
北は元誓願寺通から南は丸太町通に至る約1.3kmの比較的短い路。
この通りには、漫画や小説、そしてその後映画化されて一躍有名になった
「陰陽師」の安倍晴明を祀る晴明神社があります。
かつてこの場所に安部晴明の屋敷がありました。
男子フィギュアスケートの羽生結弦選手が平安時代の陰陽師の
安倍晴明をテーマにした「SEIMEI」を演じるにあたり、
晴明神社で初参拝し平昌オリンピックで金メダル連覇をしたことから、
羽生結弦選手のファンの聖地とも呼ばれるようになったそうです。
現在でも多くのファンが訪れるとのことです。
京都「通り名わらべ唄」から最も消え入りそうな通りと言われているそうですが、
たくさんの人で賑わってもいる通りでした。
葭屋町通り沿道の建造物
・清明神社
・蔵林寺
・真敬寺 等
堀川通り(京都通り名・南北編㉑)
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「堀川通り(ほりかわどおり)」
北は鴨川堤に始まる加茂街道から南は八条通までですが、
東海道本線交差部北側で、一筋東を走っていた油小路通に合流して大阪に繋がります。
京都のど真ん中を南北の縦に走る、道幅約50mの市内最大の幹線道路です。
平安時代で言えば、平安京の左京を南北に通る「堀川小路」にあたり、
その名の通り、堀川通には堀川という川が流れています。
名の由来となった、堀川は平安京造営時に運河として開削され、約1200年の歴史をもっています。
市中の運河として、主に木材の運搬に利用されていました。
丹波の荘園などから移出された木材は桂川を経由してこの堀川に運ばれていたそうです。
堀川通り沿道の建造物
・二条城
・西本願寺
・宝鏡寺門跡 等