古都ブログ
上七軒(京都交差点名・上京区編①)
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「上七軒(かみしちけん)」
京都市上京区真盛町から社家長屋町に位置する花街です。
室町時代に北野天満宮の再建の際に残った機材を使って7軒の茶店を建てられた
ことが「上七軒」の由来とされています。
その後、1587(天正15)年、8月10日、豊臣秀吉が北野で大茶会を催した際に、
秀吉が「茶の湯に熱心な者は、若い者も町人や百姓も身分を問わず来座を許す」と布令を発したため、
人々は喜んで洛中はもちろんのこと、洛外からも大勢が集まってきて、北野は賑わったそうです。
お茶屋さんが軒を並べる上七軒の町並みは、
時折舞妓さんが歩く姿が見られ、花街の京都ならではの情緒があります。
京都には上七軒のほかに、祇園甲部・宮川町・先斗町・祇園東の五つの花街がありますが、
もっとも伝統が古く格式が高いのがこの上七軒といわれているそうです。
ちなみに、「上七軒」の読み方ですが地元住民の方々は「かみひちけん」と呼ぶそうです。
上七軒周辺の建造物
・上七軒 西方尼寺
・上七軒歌舞会
・北野天満宮 等
柊野別れ(京都交差点名・北区編④)
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「柊野別れ(ひらぎのわかれ)」
なんとも寂しいような雰囲気ですが由来とは。
交差点の北方向には現在、京都産業大学があります。
しかし昔、そこには処刑場があったそうです。
処刑される罪人の家族は、この交差点から先へ罪人に付いていくことが許されず、
この交差点で別れを惜しんだそうです。
そのようなこともあり、いつからかこの交差点は「柊野別れ」と呼ばれるようになったのです。
今は車と人が行き交う単なる交差点に過ぎませんが、
その昔は罪人とその家族にとっての永遠の別れの場所だったようです。
しかし実際、この交差点から貴船方面へ行く道と雲ヶ畑方面に行く道に分かれており、
“道が分かれるところ”という意味もあり名づけられたとも言います。
近隣には京都でもっとも古い神社「上賀茂神社」があり、地元や観光の人々で賑わっています。
柊野別れ周辺の建造物
・上賀茂神社
・京都産業大学
・京都ゴルフ倶楽部 上賀茂コース 等
鷹峯(京都交差点名・北区編③)
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「鷹峯(たかがみね)」
鷹峯とは「鷹の山頂」を表す。
由来としては、かつて貴族の間で鷹狩りがスポーツとして
流行っていた頃にその地域が皇室の狩猟地であったことからそう名付けられたそうです。
そしてなにより驚きなのは、鷹峯の標高の高さです。
京都市北区に位置する鷹峯は、なんと京都タワーと同じ高さの標高なのです。
そして鷹峯にはたくさんの寺社仏閣が立ち並んでおり、
「そうだ 京都、行こう。」で紹介され、
さらに有名になった「源光庵」も鷹峯にあります。
鷹峯の寺社仏閣では四季折々を感じられるのもまた有名です。
鷹峯周辺の建造物
・光悦寺
・源光庵
・圓成寺 等
大将軍(京都交差点名・北区編②)
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「大将軍(タイショウグン)」
大将軍八神社(タイショウグンハチジンジャ)が由来。
桓武天皇が794年(延暦13)王城鎮護のために星神大将軍を勧請したといわれる社で、
王城鎮護の神様として厚い信仰を受けてきました。
平安時代には、
祗園(八坂神社)、日吉(日吉大社)、賀茂社(上賀茂・下鴨神社)
とともに霊験あらたかな神として歌われるほどの社だったそうです。
現在では、
建築・移動・引っ越し・結婚・旅行・交通など
あらゆる方位の厄災から守ってくれる神様として崇敬されています。
大将軍周辺の建造物
・大将軍八神社
・島津アリーナ京都 (京都府立体育館) 等
北野白梅町(京都交差点名・北区編①)
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「北野白梅町(キタノハクバイチョウ)」
「北野」および「白梅町」の合成駅名です。
京都電燈によって路線が開通した当初は、
北野駅がターミナルだったそうですが、
1958年9月北野駅と白梅町の間は廃止され、
北野および白梅町の両駅が統合されて「白梅町駅」を改名し、
「北野白梅町駅」となったそうです。
「北野」という地名は元来大内裏(だいだいり)の北側の原野のことであり、
古くから神聖な場所と考えられていました。
「白梅町」という地名は豊臣秀吉が千利休らを集め、
壮大な梅林で大茶会を開いたことが由来だと言われています。
ちなみに、白梅町はいうまでもなく北野天満宮ゆかりの地名です。
北野白梅町周辺の建造物
・北野天満宮
・京都府立体育館 等