古都ブログ
西陣舟橋
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この石碑は堀川今出川交差点の西北にある鶴屋吉信の前に建っています。
この辺りは古くから舟橋と呼ばれていますが、昔、堀川が氾濫したとき、
舟を繋いで橋としたことからおこったといわれています。
文献によると、この地に足利尊氏の執事であった高師直の邸があったそうな。
高師直は、鎌倉時代後期から南北朝時代の武将であり、
室町幕府成立の立役者と言っても過言ではない人物です。
その高師直の泉殿の下に流れる堀川に、
舟橋を浮かべて結構を尽くしたのが地名になったとも記されています。
栗田神社
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粟田神社は、三条通神宮道を東に入った所にあります。
京都の東の出入口である粟田口に鎮座する為、
古来東山道・東海道を行き来する人々は旅の安全を願い、
また道中の無事を感謝して参拝にこられ、
いつしか旅立ち守護 ・旅行安全の神として知られるようになりました。
10月に行われる「粟田祭」は、一千年の歴史を持ち、
室町時代には祇園祭ができなかった時の代わりの祭りとして
行われたといわれています。
また、粟田祭で巡行する剣鉾は祇園祭の山鉾の原形ともいわれています。
辰巳大明神
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辰巳大明神は、京都を代表する街並みで有名な祇園白川にポツンとたたづむ小社です。
「辰巳神社」「辰巳稲荷」とも呼ばれ、詳しい創建の歴史や由緒は不明ですが、
元々は京都御所の辰巳の方角=南東を守る神社だったといわれています。
狸を祭神として祀っている由来には、
昔、巽橋にいたずらな狸が棲んでおり、橋を渡る人を化かしては川の中を歩かせていた。
難儀した人々はこの狸の為に祠を建て神様として祀ったところ、
いたずらは止んだそうな・・・。
現在では、芸子さんや舞妓さんたちを中心にした、
祇園芸能に関連する人たちからシンボル的な存在として親しまれており、
芸上達の御利益があると信仰されています。
醍醐寺三宝院の唐門
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醍醐寺にある三宝院は皇室ゆかりの門跡寺院です。
豊臣秀吉が自ら設計したといわれている庭園があることでも有名です。
三宝院の見所は非常に多く、建造物の大半が重文に指定されているなど
国宝指定を受けているものもあります。
その中に、朝廷からの使者を迎える時だけに扉を開いたとされる唐門があります。
2010年に修復されたという唐門は、いかにも重厚感が漂っています。
黒の漆塗りの門に豊臣家の桐の紋が中央に二つ、
天皇家の菊の紋が両側に二つ、金箔で豪華に施されています。
これだけ見ても、桃山時代の華やかな雰囲気が伝わってきますね。
菅原院天満宮神社
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菅原道真の祖父から4代に渡る菅原氏の邸宅跡に建てられた神社で、
道真公生誕の地と伝えられています。
境内には、道真が使ったとされる産湯の井戸が残っているそうです。
この井戸は、驚いたことに平安時代から約170年の月日が経っているのにもかかわらず、
当時のまま残り、現在に至っています。
使用されている周囲の石もこの時代のものです。
道真は学業の神様として知られており、
「学問・諸芸・就職」を祈願する参拝者が多く訪れています。
他にも、末社の梅丸神社(梅丸大神)は、ガン封じ・はれもの・皮膚病などの
病除けのご神徳があると言われているそうです。
学業に秀でた菅原家の親子三代が祀られているということもあり、
学業の神様として更なるご利益があると、
今密かに注目されているパワースポットなんだとか。