古都ブログ
柳馬場通り(京都通り名・南北編⑤)
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「柳馬場通り(やなぎのばんばどおり)」
北は丸太町通から南は五条通までの約2.3kmの路です。
約400年以上前の天正17年(1589年)に豊臣秀吉が「柳院」と呼ばれる、
現在の二条柳馬場付近に京都最大の遊里をつくりました。
柳院とは遊里が見事な柳並木で囲まれていたことに由来されている。
慶長9年(1604年)には大規模な「馬揃え」があったそう。
馬揃えとは、閲兵式や軍事パレードのこと。
この壮麗な二つの出来事が合わさり「柳馬場」と名付けられたといいます。
柳馬場通り沿道の建造物
・京都ハリストス正教会
・京都地方裁判所 等
富小路通り(京都通り名・南北編④)
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「富小路通り(とみのこうじどおり)」
北は丸太町通から南が六条通までの約2.8kmの路。
平安京の富小路とはまっったくの別物で本当の富小路は1本東の麩屋町通でした。
しかし、秀吉の洛中改造の際に手違いによって名付けられてしまったそうです。
富小路通は江戸時代に塗師屋、白革屋、鍛冶屋などが集まる職人の町として栄えていたそう。
富小路通はその名が道に付けられてしまった理由は謎のようです。
富小路通り沿道の建造物
・富小路殿跡碑
・徳正寺 等
麩屋町通り(京都通り名・南北編③)
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「麩屋町通り(ふやちょうどおり)」
麩屋町通りは北は丸太町通り、南は五条通までの約2.3kmの路。
平安京の富小路(とみのこうじ)に当たるそうです。
麩屋町通の1本西の通りが富小路通ですが、
これは秀吉の洛中改造(天正の地割)で通りを新設する際に、
手違いによって名付けられたと言われているそうです。
由来としては、元々麩を商うお店が集まっていたため、
この名がついたといわれています。
寺院が多い京都、寺院で使われる麩をつくるお店も多かったのかもしれません。
現在麩屋町通りには1軒の麩屋もないようです。
麩屋町通り沿道の建造物
・柊家旅館
・俵屋旅館
・ドイツ風洋館の革島家住宅 等
御幸町通り(京都通り名・南北編②)
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「御幸町通り(ごこまちどおり)」
丸太町通から五条通に至る約2.3kmの路です。
御幸町通に掲げられていた説明には、
『1590年頃から大規模に進められた豊臣秀吉の京都大改造により開かれた通り。
その名の由来は秀吉が禁裏御所に参内するときに利用したことからとも、
天子が御幸になることからともいわれている。』とのこと。
現在では、昔ながらの建物や街並みの雰囲気を変えることなく、
古着屋・飲食店などが軒を連ねている。
御幸町通り沿道の建造物
・京都御幸町教会会堂
・京都市学校歴史博物館
・ART COMPLEX 1928 等
寺町通り(京都通り名・南北編①)
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「寺町通り(てらまちどおり)」
平安時代、寺町通りは平安京の最東の通りで、
「東京極大路」と呼ばれていたそう。
路幅が32mもある都のメインストリートだったそうです。
寺町通りに何故寺院が多いのかというと、
秀吉が大規模に進めた京都大改造により寺町通りに寺院を集め
北は鞍馬通から南は五条通までの間にお寺が集められたといいます。
その数なんと80以上の寺院が立ち並んでいたそうです。
幕末以降、寺町通りは御所沿いの通りであることもあり
幕末の争乱で多くの寺院が焼失してしまったようです。
しかし、現在でも寺町通りには多くの寺院が残っているようです。
寺町通り沿道の建造物
・京都御苑(御所)
・京都市役所
・下御霊神社 等