古都ブログ
渡月橋(京都交差点名・右京区編③)
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「渡月橋(とげつきょう)」
嵐山へ行けば誰もが通ったことのある橋の目の前の交差点です。
渡月橋と呼ばれるようになったのは、
鎌倉時代に亀山天皇(在位期間1259年〜1274年)が、
満月の晩に舟遊びをされ、月が橋の上を渡るように見えたとのことです。
「くまなき月の渡るに似る」
⇒天にかかる満月が橋を渡っているよう
から「渡月橋」となったと言われています。
渡月橋近隣の建造物
・渡月橋
・京福嵐山本線 嵐山駅
・福田美術館 等
帷子ノ辻(京都交差点名・右京区編②)
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「帷子ノ辻(かたびらのつじ)」
平安時代の初めにいた嵯峨天皇の皇后である檀林(だんりん)皇后は
仏教に深く帰依して慈悲深く、そのうえとても美しい女性でした。
彼女が亡くなった時に棺にかけられていたのが、
絹や麻糸で織った着物(帷子)でした。
お葬式の際にこのあたりを通った時に、
三条通と交わる辻(交差点)で帷子が風に舞って落ちたことから、
このあたりが帷子ノ辻と呼ばれるようになったそうです。
または遺体が捨てられた場所で帷子ノ辻と呼ばれるようになったという説もあります。
帷子ノ辻近隣の建造物
・京福帷子ノ辻駅
・松竹撮影所
・垂箕山古墳(片平大塚山古墳・仲野親王高畠墓)等
太秦(京都交差点名・右京区編①)
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「太秦(うずまさ)」
平安京遷都前から渡来人秦(はた)氏一族の居住した所で、
地名は酒公の姓、禹豆満佐(うずまさ)に由来すると言われています。
そこから、拠点を表す「太」という漢字を当てはめ、
「秦氏の拠点」を表す「太秦」になったとの説もあります。
由来の説は複数存在するようです。
太秦の交差点そばにあり観光でも人気なのが「広隆寺」。
山城最古の寺院で平安文化の発祥の地であり、
ひときわ閑静なたたずまいを見せています。
ここに祀られているのが国宝指定第1号の宝冠弥勒菩薩半跏思惟像です。
また太秦は、東映や松竹の撮影所がありシネマの町でも有名です。
シネマの町ならではの東映太秦映画村は家族ずれに人気です。
太秦近隣の建造物
・広隆寺
・東映太秦映画村
・京都府警 右京警察署 等
蹴上(京都交差点名・東山区編④)
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「蹴上(けあげ)」
安元3年(1177)の秋に源義経が、
鞍馬山で金売吉次という商人に出会いました。
金売の案内で奥州へ向かうその道中、日ノ岡峠へ立ち寄りました。
日向大明宮へ向かう道中の安全祈願をするためです。
無事に安全祈願をした源義経は、日ノ岡峠でお供と別れを告げます。
そこに平家の武士9人が馬に乗って、通りかかります。
その時、平家の乗る馬が水たまりの水を源義経に蹴りかけてしまい、
跳ね上がった水で、源義経の衣服を汚してしまったそうです。
晴れの門出を台無しにされた源義経は、激怒し9人の平家の武士を斬り捨てました。
その後、軽率な行いを悔いた源義経は、9体の石仏を作って弔ったそうです。
この事から、この地区はを「蹴上(けあげ)」と呼ぶようになったと言われています。
現在の蹴上には南禅寺があり、特に桜や紅葉の時期は人気の観光地となっています。
蹴上近隣の建造物
・南禅寺
・蹴上インクライン
・ウェスティン都ホテル京都 等
祇園(京都交差点名・東山区編③)
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「祇園(ぎおん)」
祇園といえば、京都の花街であるとか、舞妓さんがいるなどの印象が強い街です。
そんな祇園の由来は、
・「祇樹給孤独園(ぎじゆぎつこどくおん)」の略
・「祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)」の略
・京都の祇園社(現在の八坂(やさか)神社)
だと言われています。
祇樹給孤独園は祇園精舎の別名のようで、
祇園精舎(祇樹給孤独園)とは
須達(しゆだつ)長者(給孤独ともいう)が釈迦とその弟子に寄進した寺。
インド中部のコーサラ国首都の舎衛城の南に旧跡が残っているそうです。
祇園社とは、現在の八坂神社に祀られている祭神で素戔嗚尊(すさのおのみこと)です。
素戔嗚尊は牛頭天王(ごずてんのう)と同体とされています。
牛頭天王は、インドの祇園精舎の守護神です。
牛頭天王をこの地に祀ったのは、朝鮮半島の高句麗からやってきた伊利之(いりし)と伝えられており、
これが祇園社の始まりだと言われています。
現在では京都の代表的な繁華街で世界的に有名な観光地として知られています。
祇園近隣の建造物
・八坂神社
・円山公園
・知恩院
・よしもと祇園花月 等