古都ブログ
六角堂・ 太子堂
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朱の建物は太子堂と呼ばれ、六角堂を創建した聖徳太子を祀っています。、
平安時代以降、六角堂を一つの拠点として、京都に太子信仰が広まっていきました。
太子堂の西側、池の中にある石でできた井筒は、
聖徳太子沐浴の古跡と伝えられる場所だそうです。
当時このあたりにあった池に太子が入り、身を清めたと伝えられます。
その池のほとり、現在の池坊会館の位置に僧侶の住坊が建てられ、、
池坊と呼ばれるようになったそうです。
今は池がよみがえり、2羽の白鳥と、大きな鯉が複数泳いでいます。
京都の街中で、白鳥が見られる場所はとても貴重で、
数年前になりますが、赤ちゃんも生まれたそうで、見たかったなと思います。
白鳥は死ぬまで添い遂げるそう。
この日も2羽仲良く会話しているようでした。
旦椋神社
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旦椋(あさくら)神社は近鉄京都線「大久保」駅より徒歩約7分ほど。 宇治市にある神社です。
栗隈天神・胄神社とも呼ばれています。
日本書紀(720年)に栗隈県くりくまのあがたの
大溝おおうなで(栗隈大溝)の東側(地名旦椋)
あったらしいと記載がありますが、1550年に焼失したそうです。
祭神は、高皇産霊命、神皇産霊命、天満天神だそうです。
1983年、京都府の「旦椋神社文化財環境保全地区」に指定され、
1984年に本殿と7枚の本殿棟札が京都府登録有形文化財に指定されています。
境内には立派な樫の木があり、趣ある雰囲気を醸し出しています。
ぜひ、足を延ばしてみてください。
阿国歌舞伎発祥地の碑
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南座の西側には、 茶色の丸い石碑があります。
このあたりの鴨川の河原では勧進興行が常設的に催しており、
出雲のお国が「かぶき踊り」を演じたとされ、
現在の歌舞伎の発祥とされているためです。
1600年代に四条河原町付近に、7つの座をひらくことが
認められて運営をされていたようですが、
何度も大火に見舞われ徐々に数を減らし、南座と北座のみ残ったそうです。
明治26年に北座もなくなり、
1906年には、現在の松竹株式会社による経営になったそうです。
出雲阿国像
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出雲阿国(おくに)像は、歌舞伎の祖とされる女性芸能者で
「出雲のお国・いずものおくに」と呼ばれています。
安土桃山時代に生きたそうで、出雲国の鍛冶中村三右衛門の娘で
出雲大社の巫女となり巡回したそうです。
ややこ踊り⇒かぶき踊り⇒現在の歌舞伎だそうで、
四条河原の仮設小屋で興業をしていましたが、
やがて北野天満宮に定舞台を張ったそうです。
1629年に江戸幕府が風紀を取り締まり、
女性の芸能者が舞台に立つことを禁止したそうで、
今の形になったといわれています。
明神御兵八
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歓喜光寺というお寺の境内に柳小路があり、
六兵衛・七兵衛・八兵衛という3匹の狸が3匹住んでいたそうです。
それぞれが六兵衛明神・七兵衛明神・八兵衛明神として祀られています。
八兵衛明神の本殿の下には信楽焼きの狸が8体置かれていまして
それぞれ商売繁昌・恋愛成就・幸福満々・
成績良好・心身健康・金運最高・勝運良調・家内安全を表しているそうです。