祇園白川・火除け地蔵
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平安時代の末に京都を離れる際の旅の
無事を祈り、京都の七口にお地蔵さんを安置されました。
西光法師は七道の辻に6体の地蔵菩薩を安置し、
「廻地蔵」と名付けたそうで、その後の六地蔵巡りにも
つながっているようです。
江戸時代の愛宕山の地蔵は火伏せの神でもあったことも
関連しているそうです。
平安時代の末に京都を離れる際の旅の
無事を祈り、京都の七口にお地蔵さんを安置されました。
西光法師は七道の辻に6体の地蔵菩薩を安置し、
「廻地蔵」と名付けたそうで、その後の六地蔵巡りにも
つながっているようです。
江戸時代の愛宕山の地蔵は火伏せの神でもあったことも
関連しているそうです。
白川の横手にかにかくに かにかくに碑があります。
昭和30年に建てられたそうです。
吉井勇の作で祇園の思いを詠んだものだそうです。
もともとは石畳がなく、とても有名なお茶屋さんを
中心にお茶屋さんが立ちならんでいたそうです。
夏目漱石なども訪れたそうです。
今でも毎年11月8日に 「かにかくに祭」が
祇園甲部お茶屋組合によっておこなわれているそうです。
とってもかわいらしい、錦天満宮の「大願梅」です。
紙にお願い事を書いて下に入れるところがあるので
中に入れて奉納することもできますし、持ち帰ることもできるそうです。
神社の横手にはこのように皆さんのお願い事が奉納されていました。
今まで何度もお参りはしていたのですが、全く気が付きませんでした。
ぜひ錦天満宮へ行く際には大願梅で願い事をしてみてください。
日本最初の駅伝競争は,1917年4月27日から
3日間にわたり開催されたそうです。
奠都五十周年記念大博覧会「東海道駅伝徒歩競争」とのこと。
京都・三条大橋~東京・上野不忍池の博覧会玄関まで
の508kmもあったそうです。
京都南座は現存しており、現在もたくさんの
方が訪れておりますが、明治25年までは北座もありました。
道路拡張工事の末、今は和菓子屋さんが1階に入る
北座ビルの前に石碑があります。
思い出を振り返る博物館もあるそうなのでぜひ行ってみたいですね。