古都ブログ
綾傘鉾(祇園祭・山鉾シリーズ⑩)
-
1update
綾傘鉾(あやかさほこ)
王朝の古式を今に伝える鉾で、鉾は傘の形をしています。
1864年元治の大火で大部分が消失してしまい、
1879年から1884年まで原形の徒歩噺子として
巡行に復活しましたが、
1884年以降は完全に途絶えてしまいました。
しかし、1979年に善長寺町の人たちにより、
約100年ぶりに復興されました。
それ以降、綾傘鉾は毎年山鉾巡行に参加するようになり、
現在では山鉾巡行で最大級の長さを持つ鉾にまでなったのです。
また現在ほとんどが人形となってしまった稚児ですが、
綾傘鉾・長刀鉾の稚児は生き稚児であり、注目されています。
毎年綾傘鉾では保存会から六人の稚児が選ばれ、巡行に参加します。
■綾傘鉾の鉾町
京都市下京区綾小路通新町東入善長寺町
霰天神山(祇園祭・山鉾シリーズ⑨)
-
1update
霰天神山(あられてんじんやま)
永正年間(1504~1520)京都に大火があった際に、
霰が降って鎮火したと言われその時に屋根の上に降ってきた
一寸2分(約3.5センチ)の天神様をお祀りしたのが
山の起こりと言われ、火除け天神とも呼ばれています。
前懸には16世紀にベルギーで織られたタペストリーが用いられ、
古代ギリシャ神話を題材とした長編叙事詩の一部「イーリアス」
の物語が描かれています。
山の上には唐破風春日造の神殿が置かれ天神様がお祀りされています。
■霰天神山の山鉾町
中京区錦小路通室町西入ル天神山町
山伏山(祇園祭・山鉾シリーズ⑧)
-
1update
山伏山(やまぶしやま)
山に飾る御神体(人形)が山伏の姿をしているので
由来となったようです。
巡行の数日前から聖護院の山伏達の巡拝と、
八坂神社からの清祓が行われている。
山の歴史は古く、応仁の乱以前にも巡行の記録が
見られているそうです。
山伏山には昔の「菊水鉾」の懸装品が用いられています。
これは応仁の乱の前に戦火や火災で沢山の鉾が被害にあったり消滅したことが原因で
山伏山の隣だった菊水鉾の懸装品だけは残そうとされました。
見送や前懸、水引、飾り房などを山伏山に寄贈され、
菊水鉾の思いを受け継ぐということで、
現在でも「菊水鉾」の飾り房などが山の飾りとされています。
■山伏山の山鉾町
京都市中京区室町通蛸薬師下ル山伏山町
蟷螂山(祇園祭・山鉾シリーズ⑦)
-
1update
蟷螂山(とうろうやま)
かまきり山の愛称で知られている。
御所車の屋根上に大蟷螂(かまきり)が乗る
珍しい組合わせの蟷螂山は中国の古典の物語に
由来して作られました。
33基の山鉾の中で唯一「からくり」
を巡行中に披露します。
羽を広げ、首や斧を動かすからくり仕掛けになっており、
巡行の人気者で沿道の観衆から大喝采を浴びる山です。
■蟷螂山の山鉾町
京都市中京区西洞院通四条上ル蟷螂山町
孟宗山(祇園祭・山鉾シリーズ⑥)
-
1update
孟宗山(もうそうやま)
中国の「二十四孝」の1人・孟宗は、
幼少の頃に父を亡くし病気の母に
好物のたけのこを食べさせようと
真冬の竹林を歩きまわり、
やっとのことで掘り当てて母親を
喜ばせたという話に因む。
故事の場面が冬のため、
鉾の上に立てられる松の木には雪に見立てた綿が
つけられているのがポイント。
粽にも雪があしらわれている。
■孟宗山の山鉾町
京都市中京区烏丸通四条上ル笋町