古都ブログ
醒ヶ井通り(京都通り名・南北編⑳)
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「醒ヶ井通り(さめがいどおり)」
北は六角通から南は西九条町にまで至った路ですが、
途中数カ所で中断されて、また五条通から南は堀川通の拡幅によって
取り込まれてしまい姿を消しています。
平安時代の井戸「佐女牛井(さめがい)」が、
名の由来となっているそうです。
その井戸は、村田珠光(むらたじゅこう)が足利義政(あしかがよしまさ)に
献茶した際に使用したと伝えられています。
その後も、武野紹鴎(たけのじょうおう)や千利休(せんのりきゅう)、
織田有楽斎(おだうらくさい)といった名だたる茶人に愛用され、
天下一の名水と有名になったそうです。
醒ヶ井通り沿道の建造物
・住吉神社
・越後神社
・観音寺 等
油小路通り(京都通り名・南北編⑲)
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「油小路通り(あぶらのこうじどおり)」
かつては西陣の寺之内通から西九条に至る通でしたが、
現在、北は竹殿南通から南は久世橋通に至る約9.7kmの路。
道幅は全体的に数メートルとあまり広い通りではないが、
実は京都の南北の通りでは長さが最大級だそうです。
平安京の油小路は一条大路から二条大路までは官庁街が広がっており、
中世は多くの武士たちの邸宅が建ち並んでいたそうです。
江戸時代には伏見への道としても賑わい、
十数藩もの武家屋敷が並んでいたそうだ。
現在ではJR東海道本線のガード北で堀川通の延長となり、
そこから南は、主要幹線道路になっています。
伏見区内では「新堀川通」と称されています。
油小路通り沿道の建造物
・西本願寺伝道院
・白峯神宮
・京都駅 等
小川通り(京都通り名・南北編⑱)
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「小川通り(おがわどおり)」
北は紫明通から南は錦小路通までの路ですが、
正確には木津屋橋通までの約5kmの路です。
豊臣秀吉の京都大改造により開かれた通り。
通り名の由来は、
一条通の北側に昭和後期まで流れていた小川(こかわ)
という名の小さな川が由来となっているそうです。
小川通寺之内上ル辺りはお茶の通りとも呼ばれています。
石畳の道路には、
表千家「不審菴(ふしんあん)」、
裏千家「今日菴(こんにちあん)」があり、
茶室があったり茶器を売るお店が並んでいます。
京都ならではの路とはまた違った、
「茶の湯」の風情を感じられるそうです。
小川通り沿道の建造物
・表千家不審庵
・裏千家今日庵
・宝鏡寺 等
西洞院通り(京都通り名・南北編⑰)
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「西洞院通り(にしのとういんどおり)」
小川通と釜座通(場所によっては新町通)に挟まれた路で、
北は武者小路通から南は十条通に至る延長約6kmの路です。
安京造成時の西洞院大路にあたり、
建設当時は道幅24メートルの大きな路だったそう。
名は通りに沿って流れていた西洞院川に由来する。
室町期、京における商工業の中心街として成長し、
数多くの酒屋が軒を並べていたと言われています。
西洞院通り沿道の建造物
・御金神社
・下京区総合庁舎
・カトリック西陣聖ヨゼフ教会 等
釜座通り(京都通り名・南北編⑯)
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「釜座通り(かまんざどおり)」
北は下立売通か南は七条通にかけて断続的に至る約3.4kmの路です。
(立売通から三条通までは約1.2㎞)
梵鐘や茶釜の鋳造を特権的に行っていた三条釜座があったことに由来し、
仏具店が多かったことから「仏具屋通り」とも称されていたそうです。
名の由来となった三条釜座(かまんざ)にある大西清右衛門美術館には、
室町時代後期から約400年続く、京釜師・大西家歴代の茶の湯鉄釜や茶道具類が展示されている。
釜座通り沿道の建造物
・京都府庁
・京都府警察本部
・大西清右衛門美術館 等