古都ブログ
横大路(京都交差点名・伏見区編⑤)
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「横大路(よこおおじ)」
横大路地区は、伏見区南西部にあります。
竹内街道・横大路(大道)は日本最古の国道とも言われています。
古文書によると秀吉がここを開いたそうです。
名前の由来ははっきりとしていませんが、
現在は幹線道路などが集まる京都の玄関口とも言われています。
北は外環状線、南東は宇治川、南は淀競馬場、東は東高瀬川、西は桂川に囲まれています。
また工場やお店なども多くあります。
横大路近隣の建造物
・㈱創味食品 本社/工場
・京つけもの大安 工房店
・朝日新聞京都工場 等
六地蔵(京都交差点名・伏見区編④)
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「六地蔵(ろくじぞう)」
京阪六地蔵駅からもスグの場所でその名の由来となったのはお寺です。
705年定恵の開山により創建された浄土宗のお寺で、
平安時代前期に円珍が天台宗に改宗。
その後永禄年間(1558年 – 1570年)現在の浄土宗になったそうです。
そして852年に小野篁が一本の桜樹から6体の地蔵を彫ったとされ、
その後、後白河天皇の勅命で平清盛が疫病退散のため保元年間(1156~1159年)に
西光に命じて街道口6カ所にそれぞれ六角堂を建て、
六体の地蔵を一体ずつ移動させたと言われています。
六地蔵にある大善寺は奈良街道口にあたるそうです。
六地蔵近隣の建造物
・法雲山 大善寺
・大善寺前 地蔵堂
・京阪宇治線六地蔵駅 等
中書島(京都交差点名・伏見区編③)
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「中書島(ちゅうしょじま)」
中書島とは、現在の東柳町・西柳町に当たる地の俗称でその名が示すとおり、
今から約300年前宇治川により隔てられた島でした。
それが埋め立てられて現在の地形に変わったそうです。
しかし現在も周囲には堀や宇治川が巡らされ、昔の面影をわずかに感じさせています。
中書島の由来は伏見城下町時代に脇坂中務大輔安治(わきさかなかつかさたいふやすはる)の邸宅があり、
その中務大輔の唐名「中書」が地名として定着したものといわれているそうです。
中書島近隣の建造物
・京阪本線 中書島駅
・京都府立 伏見港公園 等
大手筋(京都交差点名・伏見区編②)
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「大手筋(おおてすじ)」
豊臣秀吉が自らの隠居場所として伏見城を建造しようとした際、
自らが住む地である伏見を発展させるため、
秀吉は部下に命令させて「大手筋」なる大通りを作った。
伏見城に出入りする一番重要な道だったそうです。
現在では、国道1号線の交差点ということもあり
周りには多くのお店や、工場などが立ち並んでいます。
交差点を東にいくと現在の大手筋のシンボルともいえる、
「大手筋商店街」となって賑わっています。
大手筋近隣の建造物
・蘇生会総合病院
・大手筋商店街 等
赤池(京都交差点名・伏見区編①)
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「赤池(あかいけ)」
京都南インター付近の地名です。
平安時代の終わりごろの「文覚(もんがく)」という人物に関係されおり、
元々武士だったそうで、同僚の武士の妻と恋に落ち許されない恋をしたといいます。
その女性に求婚を申し立てたところ、
「寝室に忍び込み主人を仕留めてください。」
と言い、文覚が仕留めたところ斬った相手は女性だったそうです。
主人と文覚との関係を悩んだ女性は死を覚悟したのそうです。
文覚が女性の首を近くの池で洗ったことから、
血で赤く染まった池を「赤池」と呼ぶようになったそうです。
他にも由来となる説は複数あるそうです。
赤池近隣の建造物
・城南宮
・鳥羽殿跡
・京都南インター 等