六兵ェ池(京都交差点名・山科区編⑤)
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「六兵ェ池(ろくべえいけ)」
清水焼で有名な清水六兵衛(ろくべえ)の別荘が池の近くにあったことから
六兵エ池と呼ばれるようになったそうです。
その後、池が埋め立てられて公園になり、「六兵衛池公園」と呼ばれています。
現在も公園の北側に水の湧き出るところが残されているそうです。
六兵ェ池近隣の建造物
・六兵衛池公園
・京都市立花山中学校 等
「六兵ェ池(ろくべえいけ)」
清水焼で有名な清水六兵衛(ろくべえ)の別荘が池の近くにあったことから
六兵エ池と呼ばれるようになったそうです。
その後、池が埋め立てられて公園になり、「六兵衛池公園」と呼ばれています。
現在も公園の北側に水の湧き出るところが残されているそうです。
六兵ェ池近隣の建造物
・六兵衛池公園
・京都市立花山中学校 等
「御陵(みささぎ)」
天智天皇の山科御陵があることが由来となっているそうで、
京都で一番古い天皇陵で「天智天皇陵」というそうです。
ここから近い滋賀の近江神宮は天智天皇がご祭神である神社だそうで、
ご利益を信じる人がパワースポットとして天智天皇陵を参拝しに来られるそうです。
しかし、観光地化されていようなので知る人ぞ知るパワースポットだそうです。
御陵近隣の建造物
・天智天皇 山科陵 (御廟野古墳)
・旧京阪京津線軌道跡
・京都薬科大学 等
「東野(ひがしの)」
山科のほぼ中央に位置しており、
西野と並んで山科では古く栄えていた地域だそうです。
山科は昔「山階(科)野」と呼ばれていたそうで、
この地域が開墾された際にこの地域が「野村」と呼ばれたそうです。
江戸時代に入り、16世紀後半に「野村」から、
「東野」と「西野」に分かれたそうです。
東野近隣の建造物
・地下鉄東西線東野駅
・竹中エンジニアリング
・京都刑務所 等
「椥辻(なぎつじ)」
この地に大きな椥の大木があったことからこの名がついたそうです。
椥辻は、山科盆地の中央に位置します。
地域の中央を南北に縦断する道は「醍醐街道」、
また東西に横断する道は「京都道」で
滑石越から今熊野に通じています。
この交差点が「辻」と言われる、椥辻の中心だそうです。
椥辻近隣の建造物
・京都市山科区役所
・地下鉄東西線椥辻駅
・なぎ辻病院 等
「四ノ宮(しのみや)」
人康親王(さねやすしんのう)が、
仁明天皇の第四子であったことから「四ノ宮」
の地名の由来になった親王です。
盲目でしたが詩歌管絃に優れた人でこの地に山荘を営み、
盲人たちに琵琶や朗詠を教えたといわれています。
また、伊勢物語に登場する「山科の禅師親王」は人康親王のことで、
現在も四ノ宮には人康親王 山荘跡が残されています。
四ノ宮近隣の建造物
・人康親王 山荘跡
・人康親王御墓
・山科地蔵(徳林庵) 等