古都ブログ
御陵(京都交差点名・山科区編④)
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「御陵(みささぎ)」
天智天皇の山科御陵があることが由来となっているそうで、
京都で一番古い天皇陵で「天智天皇陵」というそうです。
ここから近い滋賀の近江神宮は天智天皇がご祭神である神社だそうで、
ご利益を信じる人がパワースポットとして天智天皇陵を参拝しに来られるそうです。
しかし、観光地化されていようなので知る人ぞ知るパワースポットだそうです。
御陵近隣の建造物
・天智天皇 山科陵 (御廟野古墳)
・旧京阪京津線軌道跡
・京都薬科大学 等
東野(京都交差点名・山科区編③)
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「東野(ひがしの)」
山科のほぼ中央に位置しており、
西野と並んで山科では古く栄えていた地域だそうです。
山科は昔「山階(科)野」と呼ばれていたそうで、
この地域が開墾された際にこの地域が「野村」と呼ばれたそうです。
江戸時代に入り、16世紀後半に「野村」から、
「東野」と「西野」に分かれたそうです。
東野近隣の建造物
・地下鉄東西線東野駅
・竹中エンジニアリング
・京都刑務所 等
椥辻(京都交差点名・山科区編②)
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「椥辻(なぎつじ)」
この地に大きな椥の大木があったことからこの名がついたそうです。
椥辻は、山科盆地の中央に位置します。
地域の中央を南北に縦断する道は「醍醐街道」、
また東西に横断する道は「京都道」で
滑石越から今熊野に通じています。
この交差点が「辻」と言われる、椥辻の中心だそうです。
椥辻近隣の建造物
・京都市山科区役所
・地下鉄東西線椥辻駅
・なぎ辻病院 等
四ノ宮(京都交差点名・山科区編①)
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「四ノ宮(しのみや)」
人康親王(さねやすしんのう)が、
仁明天皇の第四子であったことから「四ノ宮」
の地名の由来になった親王です。
盲目でしたが詩歌管絃に優れた人でこの地に山荘を営み、
盲人たちに琵琶や朗詠を教えたといわれています。
また、伊勢物語に登場する「山科の禅師親王」は人康親王のことで、
現在も四ノ宮には人康親王 山荘跡が残されています。
四ノ宮近隣の建造物
・人康親王 山荘跡
・人康親王御墓
・山科地蔵(徳林庵) 等
横大路(京都交差点名・伏見区編⑤)
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「横大路(よこおおじ)」
横大路地区は、伏見区南西部にあります。
竹内街道・横大路(大道)は日本最古の国道とも言われています。
古文書によると秀吉がここを開いたそうです。
名前の由来ははっきりとしていませんが、
現在は幹線道路などが集まる京都の玄関口とも言われています。
北は外環状線、南東は宇治川、南は淀競馬場、東は東高瀬川、西は桂川に囲まれています。
また工場やお店なども多くあります。
横大路近隣の建造物
・㈱創味食品 本社/工場
・京つけもの大安 工房店
・朝日新聞京都工場 等