古都ブログ
車屋町通り(京都通り名・南北編⑩)
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「 車屋町通(くるまやちょうどおり)」
北は丸太町通から南は姉小路通に至る、約800mほどの路です。
その先大きく飛んで松原通からに先の七条通を越えて塩小路通に至るまで、
その延長と思われる断片が残されており、
途中の一部区間を不明門(あずけのもん)通とも称しているそうです。
由来としては、通りの南側に輸送業者や車鍛冶屋が多く住んでいたため、
車屋町通りと呼ばれるようになったそうです。
車屋町通り沿道の建造物
・御用蕎麦司 本家尾張屋 本店
・株式会社京都新聞
・ニチコン本社ビル 等
東洞院通り(京都通り名・南北編⑨)
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「東洞院通り(ひがしのとういんどおり)」
北は丸太町通から南は九条通に至る約4.1kmの路です。
九条通からは先は竹田街道に繋がります。
応仁・文明の乱により荒廃されました。
しかし、1590年頃から進められた豊臣秀吉の京都大改造により、
再整備されたそうです。
「洞院」とは、天皇が退位した後の住居を意味し、
辺りに、高陽院・高倉院・花山院など多くの洞院が
あったことから由来されたという。
東洞院通り沿道の建造物
・中京郵便局
・NTT西日本 京都支店
・ホテル日航プリンセス京都 等
間之町通り(京都通り名・南北編⑧)
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「間之町通り(あいのまちどおり)」
北は丸太町通から南は七条通に至る約3kmの路です。
しかし、途中姉小路通~高辻通、松原通~万寿寺通などで
中断しているので全体を通ることは中々難しいと言われています。
高倉通と東洞院通の間に挟まれている「間」の道が由来とされています。
秀吉の「天正の地割」で、そのときに造られた道のひとつです。
間之町通り沿道の建造物
・上村松篁旧邸
・渉成園 等
高倉通り(京都通り名・南北編⑦)
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「高倉通り(たかくらどおり)」
高倉通りは北は丸太町通から南は塩小路通まで約3.3kmの路。
平安時代には天皇の御殿や貴族の邸宅が並ぶ超高級住宅街だったそうで、
高倉殿があったことから通り名の由来とされる。
現在では、四条通の交差点に大丸百貨店があり、
賑わいをみせている通りでもあります。
高倉通り沿道の建造物
・大丸百貨店
・旧日銀京都支店 等