竹田街道(京都通り名・街道シリーズ⑤)
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竹田街道とは江戸時代に京都から南へと繋がる
竹田口から伏見区竹田を経て伏見港へと
つながっていた幹線道路のことで、
鳥羽街道や伏見街道とともに重要な道だったそうです。
竹田村から伏見港に通じていて、
物資輸送を主目的とした産業道路的街道で、
その際、竹田村を通ることから
「竹田街道」と名が付いたそうです。
当時は牛車の往来が盛んだった「車石」
が敷かれた街道だったそうです。
竹田街道とは江戸時代に京都から南へと繋がる
竹田口から伏見区竹田を経て伏見港へと
つながっていた幹線道路のことで、
鳥羽街道や伏見街道とともに重要な道だったそうです。
竹田村から伏見港に通じていて、
物資輸送を主目的とした産業道路的街道で、
その際、竹田村を通ることから
「竹田街道」と名が付いたそうです。
当時は牛車の往来が盛んだった「車石」
が敷かれた街道だったそうです。
五条通りから南下し京都市の東部を
南北に走る全長約6キロの道路「伏見街道」。
桃山時代に伏見城を築いた秀吉が、
京都と伏見を繋ぐ道を必要とし
「伏見街道」が作られたそうです。
沿道には観光地として有名な
「東福寺」や「伏見稲荷大社」があり、
現在の本町1丁目が伏見街道の北端だそうです。
伏見街道沿線には数多くの小学校、銭湯、
昔ながらの民家が立ち並んでいます。
多くの人が住み、昔から主要道路だったと感じとれます。