六角堂・十六羅漢地蔵
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六角堂、本堂の右側の場所にある六羅漢地蔵です。
仏の教えを護り伝えることのできる
優れた僧侶を羅漢と呼ぶそうで、
方位の四方八方を倍にした十六を表し、
あらゆる場所に羅漢様がおられることを意味しているそうです。
サクラの時期はしだれ桜が画面奥の方に咲き、とても綺麗ですので、、
ぜひ足を運んでください。
六角堂、本堂の右側の場所にある六羅漢地蔵です。
仏の教えを護り伝えることのできる
優れた僧侶を羅漢と呼ぶそうで、
方位の四方八方を倍にした十六を表し、
あらゆる場所に羅漢様がおられることを意味しているそうです。
サクラの時期はしだれ桜が画面奥の方に咲き、とても綺麗ですので、、
ぜひ足を運んでください。
本堂の前にはへそ石という石が埋まっています。
京都の中心にあるのでそのように呼ばれていましたが、
元々は門の前にあったそうで、明治に移動したそうです。
六角堂HPによると平安京造営時、
本堂の位置に道を通すために祈ったところ、
堂が少し北の現在地へ移動し、もとの位置に石が一つ
残ったという伝説から、「本堂古跡の石」ともいうそうです。
朱の建物は太子堂と呼ばれ、六角堂を創建した聖徳太子を祀っています。、
平安時代以降、六角堂を一つの拠点として、京都に太子信仰が広まっていきました。
太子堂の西側、池の中にある石でできた井筒は、
聖徳太子沐浴の古跡と伝えられる場所だそうです。
当時このあたりにあった池に太子が入り、身を清めたと伝えられます。
その池のほとり、現在の池坊会館の位置に僧侶の住坊が建てられ、、
池坊と呼ばれるようになったそうです。
今は池がよみがえり、2羽の白鳥と、大きな鯉が複数泳いでいます。
京都の街中で、白鳥が見られる場所はとても貴重で、
数年前になりますが、赤ちゃんも生まれたそうで、見たかったなと思います。
白鳥は死ぬまで添い遂げるそう。
この日も2羽仲良く会話しているようでした。
旦椋遺跡の石碑です。
旦椋神社周辺に広がる古墳時代後期の古墳群と飛鳥時代の集落跡、
鋳物房跡が見つかっている遺跡だそうです。
古墳時代の豪族、栗隈氏(くりくまし)の拠点と
推定される場所で、古墳時代後期(6世紀後半)の
小型円墳(直径18~20m)1基と飛鳥時代(7世紀)の竪穴住居跡
6棟が見つかったと発表されています。