古都ブログ
安養寺・さかれんげ
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本尊の阿弥陀如来の蓮華の台座がさかさまになっているところから、
別名、倒蓮華寺(さかれんげ)と呼ばれています。
その頃、まだまだ女性蔑視が強かったことから、
往生の際に男性は心の中で上を向いたハスの花を咲かせるが、
女性は下向きに咲かせると言われ、女性は虐げられた存在でした。
阿弥陀の男女の差別なく往生できることを教える平等思想から、
さかれんげと阿弥陀如来を象徴的に見せることで、
分け隔てなく救われることを分かりやすく伝えているという。
この倒蓮華は全国的にも珍しく、特別公開時は横の扉が開けられ、
至近距離から台座の形を確認することができるそうです。
悪王子社
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悪王子社は日本神話の神様の一人である、素戔嗚尊(スサノオノミコト)の
荒御魂(あらみたま)を祀る場所です。
荒御魂とは、神様の霊魂の種類のひとつで、荒々しい勇猛な魂をそう呼びます。
スサノオノミコトは大蛇ヤマタノオロチを退治したことで有名です。
その王子への敬称として、「悪王子」の称号を贈られたため、
この名がついたとか。
「悪」いう字がつくので、マイナスなイメージを想像してしまいがちですが、
昔は「強力な」「力強い」といった意味としても使われていたんですね。
現在も町名としてつかわれており、
その名残りが残っているのがおもしろいです。
天性寺
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寺町三条を上った所にある天性寺(てんしょうじ)は、
浄土寺総本山知恩院の末寺です。
このお寺は中臣鎌足の子孫である、中将姫の遺徳をしのび創建されたという。
中将姫は美貌と才に恵まれ、9歳のときに孝謙天皇に召し出され、
16歳のときには淳仁天皇から後宮に望まれたが、当麻寺で尼になり、
長谷観音のお告げによって一夜で当麻曼荼羅を織ったと言い伝えられています。
亡くなった時、来迎により生きたまま西方極楽浄土へ向かったという・・・。
また、木蓮が有名なお寺で、毎年3月下旬~4月初旬に
ひときわ大きな白い花を咲かせています。
神田明神
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先週の記事で紹介した膏薬辻子(こうやくのずし)とよばれる路地の中に
京都神田明神があります。
ここは平将門の霊を供養するために空也上人が塚を築いたのが始まりと
伝えられています。
一方、神田明神といえば、東京都千代田区にも存在しています。
日本三大祭の1つ「神田祭」でも有名なので、
こちらを思い浮かべるひとのほうが多いかもしれませんね。
京都が東京の神田明神の本家であるという説もあるが、
裏付ける資料は見つかっていないとか・・・。
膏薬辻子
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京都の道は碁盤の目のように桝目状の区割りがあることで有名です。
その内部をアクセスする道路があり、袋小路の道を「路地」、
通り抜けることが出来るものを「図子」、あるいは「辻子(ずし)」と呼びます。
その中でも「膏薬辻子」は歴史的な情緒ある景観をとどめる辻子の1つです。
天慶3年(930年)に、天慶の乱により戦死した平将門の首が晒されて以後、
全国で災厄が頻発したそうな・・・
これを鎮めるために、踊念仏で知られる空也上人が道場の一角に塚を建てて、
手厚く平将門の霊を供養した。
いつしか「空也供養の道場」と呼ばれ、これが「クウヤクヨウ」が訛って
「コウヤク」になったといわれています。