藤井右門宅跡
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藤井右門は江戸中期の尊王論者です。
尊王論とは、天皇の絶対的権威を認め、
皇室を尊崇するという思想です。
1735年に京都で竹内式部に入門し儒学や神道を学び、
学を修めて皇学所教授を務めながら、
公卿に尊王論を説きました。
1758年の「宝暦事件」で竹内式部が捕らえられると京都を逃れ、
江戸の山県大弐の塾に入門し、その家に身を寄せます。
しかし後に、「明和事件」の首謀者として、
山県大弐とともに謀反人として捕らえられ、
処刑されてしまいます。
この石碑があったところが、
藤井右門が上洛してから江戸に亡命するまでの
約20年間を過ごしたところです。
また、この旧宅は近くに薩摩藩邸があったので、
志士たちの会議連絡場所としても活用されていました。