瑞泉寺
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三条木屋町の繁華街の中にひっそりと佇む瑞泉寺。
この場所で今から400年前に悲しい事件が起こりました。
豊臣秀吉から関白の位を譲られ聚楽第に住した秀次が、
悪逆の汚名と、謀反の罪を着せられ、切腹させられました。
1595年に高野山で自刃させられた後、
その子供5名と妻妾34名の計39名の一族が三条河原で公開処刑されました。
瑞泉寺に伝わる絵縁起によれば、
一族の遺骸を埋葬した処刑場の地には大きな塚が築かれ、
塚の頂上には秀次の首を納め「秀次悪逆塚」と刻した石塔を据えて
往来人への見せしめにしたという。
16年後、角倉了以が高瀬川の開削の際に荒廃した塚と石塔を発見し、
大層心を痛め、無念の死をとげた一族を弔うためにこの瑞泉寺を建立しました。