古都ブログ
蹴上(京都交差点名・東山区編④)
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「蹴上(けあげ)」
安元3年(1177)の秋に源義経が、
鞍馬山で金売吉次という商人に出会いました。
金売の案内で奥州へ向かうその道中、日ノ岡峠へ立ち寄りました。
日向大明宮へ向かう道中の安全祈願をするためです。
無事に安全祈願をした源義経は、日ノ岡峠でお供と別れを告げます。
そこに平家の武士9人が馬に乗って、通りかかります。
その時、平家の乗る馬が水たまりの水を源義経に蹴りかけてしまい、
跳ね上がった水で、源義経の衣服を汚してしまったそうです。
晴れの門出を台無しにされた源義経は、激怒し9人の平家の武士を斬り捨てました。
その後、軽率な行いを悔いた源義経は、9体の石仏を作って弔ったそうです。
この事から、この地区はを「蹴上(けあげ)」と呼ぶようになったと言われています。
現在の蹴上には南禅寺があり、特に桜や紅葉の時期は人気の観光地となっています。
蹴上近隣の建造物
・南禅寺
・蹴上インクライン
・ウェスティン都ホテル京都 等
祇園(京都交差点名・東山区編③)
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「祇園(ぎおん)」
祇園といえば、京都の花街であるとか、舞妓さんがいるなどの印象が強い街です。
そんな祇園の由来は、
・「祇樹給孤独園(ぎじゆぎつこどくおん)」の略
・「祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)」の略
・京都の祇園社(現在の八坂(やさか)神社)
だと言われています。
祇樹給孤独園は祇園精舎の別名のようで、
祇園精舎(祇樹給孤独園)とは
須達(しゆだつ)長者(給孤独ともいう)が釈迦とその弟子に寄進した寺。
インド中部のコーサラ国首都の舎衛城の南に旧跡が残っているそうです。
祇園社とは、現在の八坂神社に祀られている祭神で素戔嗚尊(すさのおのみこと)です。
素戔嗚尊は牛頭天王(ごずてんのう)と同体とされています。
牛頭天王は、インドの祇園精舎の守護神です。
牛頭天王をこの地に祀ったのは、朝鮮半島の高句麗からやってきた伊利之(いりし)と伝えられており、
これが祇園社の始まりだと言われています。
現在では京都の代表的な繁華街で世界的に有名な観光地として知られています。
祇園近隣の建造物
・八坂神社
・円山公園
・知恩院
・よしもと祇園花月 等
馬町(京都交差点名・東山区編②)
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「馬町(うままち)」
東山五条を下がった二筋目の交差点名は「馬町」。
由来については、六波羅探題から幕府へ駿馬を送る際の係留地で、
見物人が群れをなしたから、馬市が開かれたから、など複数の説があるそうです。
近隣には、京都女子中・校・大があり、
女子生徒で賑わい華やかな地でしょう。
馬町近隣の建造物
・京都女子中学校・高等学校
・京都国立博物館
・フォーシーズンズホテル京都 等
今熊野(京都交差点名・東山区編①)
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「今熊野(いまぐまの)」
東大路通でJRが下に走っている高架の交差点です。
後白河上皇が清盛に命じ、熊野の新宮・法住寺殿の鎮守社として造営させた、
新熊野神社(いまくまのじんじゃ)に由来している。
「新」には「今」の意味があり、新しく建立された熊野神社を表しているそうです。
今熊野近隣の建造物
・新熊野神社
・大谷中学高等学校 等
百万遍(京都交差点名・左京区編②)
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「百万遍(ひゃくまんべん)」
京都大学のある京都では有名な交差点ですが、
百万遍という地名ではありません。
実は知恩寺の正式名称が「浄土宗大本山 百萬遍 知恩寺」といい、
この寺がここにあったことからその辺りを「百万遍」と呼ぶようになったそうです。
1331年(鎌倉時代)に地震が原因の病気が流行り、
後醍醐天皇の名を受けて、空圓というお坊さんが弟子たちと一緒に、
7日7夜にわたって大きな数珠を回しながら百万遍(100万回)の念仏を唱えたことが百万遍の由来となっています。
ちなみに「知恩寺」の由来は、今から八百数十年前にさかのぼります。
浄土宗を開いた法然というお坊さんが、神宮寺というお寺に住んで念仏を教えを説いたのが始まりです。
法然が亡くなってから、お弟子さんである源智というお坊さんが、
師匠の恩に報いるため、「恩」を「知」らなければらなないということから「知恩寺」と名付けられたそうです。
現在の百万遍は、京都大学の学生で賑わう活気のある街となっています。
百万遍近隣の建造物
・知恩寺
・京都大学
・吉田神社 等