常盤(京都交差点名・右京区編⑤)
- 1update
「常盤(ときわ)」
嵯峨天皇の皇子、源常(みなもとのときわ)が、
山荘を構えたのが地域の名の由来とされています。
そして現在の常盤駅のすぐ近くにある「源光寺」、
源義経の母・常盤御前のお墓があると知られています。
常盤近隣の建造物
・京福 常盤駅
・源光寺
・法雲院 等
「常盤(ときわ)」
嵯峨天皇の皇子、源常(みなもとのときわ)が、
山荘を構えたのが地域の名の由来とされています。
そして現在の常盤駅のすぐ近くにある「源光寺」、
源義経の母・常盤御前のお墓があると知られています。
常盤近隣の建造物
・京福 常盤駅
・源光寺
・法雲院 等
「越畑(こしはた)」
右京区嵯峨野のある交差点で、
京都市内ですが棚田とかやぶき屋根が残る自然豊かな地域です。
愛宕山の腰に位置することから「腰畑」と呼ばれるようになったそうです。
四季折々の木々や花を感じることのでき、
そば打ちや農業体験もできる自然豊かな地域です。
越畑近隣の建造物
・京都市立宕陰小、中学校
・越畑フレンドパーク まつばら
・越畑の相生桜 等
「渡月橋(とげつきょう)」
嵐山へ行けば誰もが通ったことのある橋の目の前の交差点です。
渡月橋と呼ばれるようになったのは、
鎌倉時代に亀山天皇(在位期間1259年〜1274年)が、
満月の晩に舟遊びをされ、月が橋の上を渡るように見えたとのことです。
「くまなき月の渡るに似る」
⇒天にかかる満月が橋を渡っているよう
から「渡月橋」となったと言われています。
渡月橋近隣の建造物
・渡月橋
・京福嵐山本線 嵐山駅
・福田美術館 等
「帷子ノ辻(かたびらのつじ)」
平安時代の初めにいた嵯峨天皇の皇后である檀林(だんりん)皇后は
仏教に深く帰依して慈悲深く、そのうえとても美しい女性でした。
彼女が亡くなった時に棺にかけられていたのが、
絹や麻糸で織った着物(帷子)でした。
お葬式の際にこのあたりを通った時に、
三条通と交わる辻(交差点)で帷子が風に舞って落ちたことから、
このあたりが帷子ノ辻と呼ばれるようになったそうです。
または遺体が捨てられた場所で帷子ノ辻と呼ばれるようになったという説もあります。
帷子ノ辻近隣の建造物
・京福帷子ノ辻駅
・松竹撮影所
・垂箕山古墳(片平大塚山古墳・仲野親王高畠墓)等
「太秦(うずまさ)」
平安京遷都前から渡来人秦(はた)氏一族の居住した所で、
地名は酒公の姓、禹豆満佐(うずまさ)に由来すると言われています。
そこから、拠点を表す「太」という漢字を当てはめ、
「秦氏の拠点」を表す「太秦」になったとの説もあります。
由来の説は複数存在するようです。
太秦の交差点そばにあり観光でも人気なのが「広隆寺」。
山城最古の寺院で平安文化の発祥の地であり、
ひときわ閑静なたたずまいを見せています。
ここに祀られているのが国宝指定第1号の宝冠弥勒菩薩半跏思惟像です。
また太秦は、東映や松竹の撮影所がありシネマの町でも有名です。
シネマの町ならではの東映太秦映画村は家族ずれに人気です。
太秦近隣の建造物
・広隆寺
・東映太秦映画村
・京都府警 右京警察署 等