古都ブログ
両替町通り(京都通り名・南北編⑫)
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「 両替町通り(りょうがえちょうどおり)」
北は丸太町通から南は三条通に至る約2.3kmの路ですが、
途中三条通から高辻通の間が大きく中断されています。
南の延長線上には、高辻通りから花屋町通りまでが
「諏訪町通り(すわんちょうどおり)」と呼ばれています。
通りの由来としては江戸時代に銀座や両替屋が並ぶ金融街であったことから、
両替通りとよばれるようになったそうです。
元禄期には全盛を誇り、その派手な生活ぶりは「両替町風」と
呼ばれていたそうです。
両替町通り沿道の建造物
・NHK京都放送局
・京都労働局
・二条殿跡
・徳川時代 銀座遺址 等
烏丸通り(京都通り名・南北編⑪)
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「 烏丸通り(からすまどおり)」
北は北大路通りから南は京都駅で途絶えますが、再び八条から久世橋まで続くの路。
元は烏丸小路(からすまるこうじ)という狭い道路で平安時代からあり、
由来としては、烏丸通にもともと河原の洲の間「かわらのすのま」と呼ばれていた小川が流れており、
その音に烏と丸を当て「烏丸(からすま)」となったと言われています。
最初は烏丸(からすまる)とも世慣れていたそうですが、省略されて「からすま」となったそうです。
現在の烏丸通りと言えば、特に四条烏丸を中心にビジネス街とされ、
多くの企業や商業施設が集積している京都のメインストリートでもあります。
沿道には、京都を代表する企業の本社や大規模な商業施設等が数多く立地している。
烏丸道路下には、京都の人が数多く利用する京都市営地下鉄烏丸線が通っています。
烏丸通り沿道の建造物
・東本願寺
・同志社大学
・京都御苑(京都御所)
・京都タワー 等
車屋町通り(京都通り名・南北編⑩)
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「 車屋町通(くるまやちょうどおり)」
北は丸太町通から南は姉小路通に至る、約800mほどの路です。
その先大きく飛んで松原通からに先の七条通を越えて塩小路通に至るまで、
その延長と思われる断片が残されており、
途中の一部区間を不明門(あずけのもん)通とも称しているそうです。
由来としては、通りの南側に輸送業者や車鍛冶屋が多く住んでいたため、
車屋町通りと呼ばれるようになったそうです。
車屋町通り沿道の建造物
・御用蕎麦司 本家尾張屋 本店
・株式会社京都新聞
・ニチコン本社ビル 等
東洞院通り(京都通り名・南北編⑨)
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「東洞院通り(ひがしのとういんどおり)」
北は丸太町通から南は九条通に至る約4.1kmの路です。
九条通からは先は竹田街道に繋がります。
応仁・文明の乱により荒廃されました。
しかし、1590年頃から進められた豊臣秀吉の京都大改造により、
再整備されたそうです。
「洞院」とは、天皇が退位した後の住居を意味し、
辺りに、高陽院・高倉院・花山院など多くの洞院が
あったことから由来されたという。
東洞院通り沿道の建造物
・中京郵便局
・NTT西日本 京都支店
・ホテル日航プリンセス京都 等
間之町通り(京都通り名・南北編⑧)
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「間之町通り(あいのまちどおり)」
北は丸太町通から南は七条通に至る約3kmの路です。
しかし、途中姉小路通~高辻通、松原通~万寿寺通などで
中断しているので全体を通ることは中々難しいと言われています。
高倉通と東洞院通の間に挟まれている「間」の道が由来とされています。
秀吉の「天正の地割」で、そのときに造られた道のひとつです。
間之町通り沿道の建造物
・上村松篁旧邸
・渉成園 等