古都ブログ
葭屋町通り(京都通り名・南北編㉒)
-
1update
「葭屋町通り(よしやまちどおり)」
北は元誓願寺通から南は丸太町通に至る約1.3kmの比較的短い路。
この通りには、漫画や小説、そしてその後映画化されて一躍有名になった
「陰陽師」の安倍晴明を祀る晴明神社があります。
かつてこの場所に安部晴明の屋敷がありました。
男子フィギュアスケートの羽生結弦選手が平安時代の陰陽師の
安倍晴明をテーマにした「SEIMEI」を演じるにあたり、
晴明神社で初参拝し平昌オリンピックで金メダル連覇をしたことから、
羽生結弦選手のファンの聖地とも呼ばれるようになったそうです。
現在でも多くのファンが訪れるとのことです。
京都「通り名わらべ唄」から最も消え入りそうな通りと言われているそうですが、
たくさんの人で賑わってもいる通りでした。
葭屋町通り沿道の建造物
・清明神社
・蔵林寺
・真敬寺 等
堀川通り(京都通り名・南北編㉑)
-
1update
「堀川通り(ほりかわどおり)」
北は鴨川堤に始まる加茂街道から南は八条通までですが、
東海道本線交差部北側で、一筋東を走っていた油小路通に合流して大阪に繋がります。
京都のど真ん中を南北の縦に走る、道幅約50mの市内最大の幹線道路です。
平安時代で言えば、平安京の左京を南北に通る「堀川小路」にあたり、
その名の通り、堀川通には堀川という川が流れています。
名の由来となった、堀川は平安京造営時に運河として開削され、約1200年の歴史をもっています。
市中の運河として、主に木材の運搬に利用されていました。
丹波の荘園などから移出された木材は桂川を経由してこの堀川に運ばれていたそうです。
堀川通り沿道の建造物
・二条城
・西本願寺
・宝鏡寺門跡 等
醒ヶ井通り(京都通り名・南北編⑳)
-
1update
「醒ヶ井通り(さめがいどおり)」
北は六角通から南は西九条町にまで至った路ですが、
途中数カ所で中断されて、また五条通から南は堀川通の拡幅によって
取り込まれてしまい姿を消しています。
平安時代の井戸「佐女牛井(さめがい)」が、
名の由来となっているそうです。
その井戸は、村田珠光(むらたじゅこう)が足利義政(あしかがよしまさ)に
献茶した際に使用したと伝えられています。
その後も、武野紹鴎(たけのじょうおう)や千利休(せんのりきゅう)、
織田有楽斎(おだうらくさい)といった名だたる茶人に愛用され、
天下一の名水と有名になったそうです。
醒ヶ井通り沿道の建造物
・住吉神社
・越後神社
・観音寺 等
油小路通り(京都通り名・南北編⑲)
-
1update
「油小路通り(あぶらのこうじどおり)」
かつては西陣の寺之内通から西九条に至る通でしたが、
現在、北は竹殿南通から南は久世橋通に至る約9.7kmの路。
道幅は全体的に数メートルとあまり広い通りではないが、
実は京都の南北の通りでは長さが最大級だそうです。
平安京の油小路は一条大路から二条大路までは官庁街が広がっており、
中世は多くの武士たちの邸宅が建ち並んでいたそうです。
江戸時代には伏見への道としても賑わい、
十数藩もの武家屋敷が並んでいたそうだ。
現在ではJR東海道本線のガード北で堀川通の延長となり、
そこから南は、主要幹線道路になっています。
伏見区内では「新堀川通」と称されています。
油小路通り沿道の建造物
・西本願寺伝道院
・白峯神宮
・京都駅 等
小川通り(京都通り名・南北編⑱)
-
1update
「小川通り(おがわどおり)」
北は紫明通から南は錦小路通までの路ですが、
正確には木津屋橋通までの約5kmの路です。
豊臣秀吉の京都大改造により開かれた通り。
通り名の由来は、
一条通の北側に昭和後期まで流れていた小川(こかわ)
という名の小さな川が由来となっているそうです。
小川通寺之内上ル辺りはお茶の通りとも呼ばれています。
石畳の道路には、
表千家「不審菴(ふしんあん)」、
裏千家「今日菴(こんにちあん)」があり、
茶室があったり茶器を売るお店が並んでいます。
京都ならではの路とはまた違った、
「茶の湯」の風情を感じられるそうです。
小川通り沿道の建造物
・表千家不審庵
・裏千家今日庵
・宝鏡寺 等