古都ブログ
大将軍(京都交差点名・北区編②)
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「大将軍(タイショウグン)」
大将軍八神社(タイショウグンハチジンジャ)が由来。
桓武天皇が794年(延暦13)王城鎮護のために星神大将軍を勧請したといわれる社で、
王城鎮護の神様として厚い信仰を受けてきました。
平安時代には、
祗園(八坂神社)、日吉(日吉大社)、賀茂社(上賀茂・下鴨神社)
とともに霊験あらたかな神として歌われるほどの社だったそうです。
現在では、
建築・移動・引っ越し・結婚・旅行・交通など
あらゆる方位の厄災から守ってくれる神様として崇敬されています。
大将軍周辺の建造物
・大将軍八神社
・島津アリーナ京都 (京都府立体育館) 等
北野白梅町(京都交差点名・北区編①)
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「北野白梅町(キタノハクバイチョウ)」
「北野」および「白梅町」の合成駅名です。
京都電燈によって路線が開通した当初は、
北野駅がターミナルだったそうですが、
1958年9月北野駅と白梅町の間は廃止され、
北野および白梅町の両駅が統合されて「白梅町駅」を改名し、
「北野白梅町駅」となったそうです。
「北野」という地名は元来大内裏(だいだいり)の北側の原野のことであり、
古くから神聖な場所と考えられていました。
「白梅町」という地名は豊臣秀吉が千利休らを集め、
壮大な梅林で大茶会を開いたことが由来だと言われています。
ちなみに、白梅町はいうまでもなく北野天満宮ゆかりの地名です。
北野白梅町周辺の建造物
・北野天満宮
・京都府立体育館 等
千本通り(京都通り名・南北編㉚)
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「千本通り(せんぼんどおり)」
北は北大路通から南は九条通まで至り、
やや屈曲してそのまま南下し旧鳥羽街道につながっている路。
七条から八条までは梅小路公園、京都鉄道博物館などで中断しており、
九条通より南は鳥羽街道とも呼ばれています。
しかし、碁盤の目の通りの中では1番長い路と言われています。
平安京が造営された794年、皇居すなわち大内裏の玄関である朱雀門から、
平安京の入口となる羅城門まで一直線に向かうその道を「朱雀大路」といいました。
この朱雀大路が後の千本通の原型となります。
「千本通り」の由来としては「何が千本あったのか?」
と幾つかあげられるものがありますがその中でも、
雅な由来・恐ろしい由来とあります。
気になる方は一度検索してみてください。
千本通り沿道の建造物
・JR二条駅
・京都市中央卸売市場
・京都鉄道博物館 等
浄福寺通り(京都通り名・南北編㉙)
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「浄福寺通り(じょうふくじどおり)」
北は西陣の寺之内通から南は竹屋町通りに至る路でしたが、
現在は洛北の宅地開発による市街地の拡大によって、
北は船岡山・鞍馬口通まで延伸しています。
通りの名の由来となったのは京都市上京区笹屋町にある浄福寺。
西陣の町屋が連なる浄福寺通沿いに、
赤い門があり全体に朱が塗られているので近所の人は赤門と呼び、
寺の名も赤門寺と呼ばれ庶民に親しまれているお寺だそうです。
その赤門は秀吉がつくった聚楽第の一部分ではないかという説もあるそうです。
浄福寺通り沿道の建造物
・浄福寺
・慧光寺
・京都市立正親小学校
智恵光院通り(京都通り名・南北編㉘)
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「智恵光院通り(ちえこういんどおり)」
北は北大路通の大徳寺門前から南は竹屋町通まで、
南は下立売通までだったそうですが、
明治8年(1875)中務町ができたとき丸太町通まで開通し、
さらに昭和4年(1929)竹屋町通まで開通しました。
しかし、現在は戦時中に開通した西院町の新道の方が
智恵光院通と呼ばれているそうです。
通りの名ともなっている智恵光院が健在し、
聚楽第※があったとしても有名な通りです。
(※豊臣秀吉が「内野(うちの)」に建てた政庁・邸宅・城郭)
智恵光院通り沿道の建造物
・智恵光院
・櫟谷七野神社
・首途八幡宮
・本隆寺 等