古都ブログ
長刀鉾(祇園祭・山鉾シリーズ①)
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今年も宵山や巡行は中止となってしまいましたが、
来年こそは本来の形で祇園祭が行われるよう願いを込めて
今年伝統継承のために建てられた山鉾をご紹介します。
長刀鉾(なぎなたほこ)
祇園祭で毎年最も注目を浴びる鉾。
鉾先に疫病邪悪を払う大長刀(おおなぎなた)をつけており、
鉾の進行中に刃先が八坂神社と御所には向かないように
取り付けてあるそうでうす。
数ある山鉾の中では一番古くに創建され、
また山鉾巡行では毎年「くじとらず」として
四条烏丸から先頭を切って東に向かいます。
現在は唯一、生稚児の乗る鉾として注目を浴びています。
鉾の装飾品は以前はペルシャ製の
花文様絨毯(かもんようじゅうたん)や
中国及びその近辺で織られた絨毯を使用していましたが、
現在は保存されているそうです。
■長刀鉾の鉾町
京都市下京区四条通烏丸東入る長刀鉾町
竹田街道(京都通り名・街道シリーズ⑤)
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竹田街道とは江戸時代に京都から南へと繋がる
竹田口から伏見区竹田を経て伏見港へと
つながっていた幹線道路のことで、
鳥羽街道や伏見街道とともに重要な道だったそうです。
竹田村から伏見港に通じていて、
物資輸送を主目的とした産業道路的街道で、
その際、竹田村を通ることから
「竹田街道」と名が付いたそうです。
当時は牛車の往来が盛んだった「車石」
が敷かれた街道だったそうです。
伏見街道(京都通り名・街道シリーズ④)
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五条通りから南下し京都市の東部を
南北に走る全長約6キロの道路「伏見街道」。
桃山時代に伏見城を築いた秀吉が、
京都と伏見を繋ぐ道を必要とし
「伏見街道」が作られたそうです。
沿道には観光地として有名な
「東福寺」や「伏見稲荷大社」があり、
現在の本町1丁目が伏見街道の北端だそうです。
伏見街道沿線には数多くの小学校、銭湯、
昔ながらの民家が立ち並んでいます。
多くの人が住み、昔から主要道路だったと感じとれます。
鳥羽街道(京都通り名・街道シリーズ③)
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鳥羽街道とは、平城京の玄関口として知られる羅城門跡から
南下する「鳥羽作り道」として作られたのが由来。
鳥羽街道は全長、約9km。
千本通から羅城門を南下し、伏見区の淀まで続いているそうです。
1868年に鳥羽街道の小枝橋付近で起こった
新政府軍と幕府軍との間での衝突によって、
「鳥羽・伏見の戦い」が起こり、沿道は戦いの場だったそう。
また鴨川と桂川に隣接していて当時は直線の道でしたが、
時代が経つにつれて河川の流れが大きく変化し、
次第に蛇行するようになったそうです。
大坂街道(京都通り名・街道シリーズ②)
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「大坂街道」とは大坂と京都を結ぶ道で、
豊臣秀吉によって1594年から1596年に
淀川左岸の築堤工事がなされ築かれたそう。
そして大坂から京都への最短ルートとなったそうです。
向かう方向の地名で街道の名前が呼ばれていたそうで、
同じ街道でも大坂から京都へ向かう場合は「京街道」、
京都から大坂へ向かう場合は「大坂街道」と2つの名前が
あったそうです。