彦根藩邸跡
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江戸時代後期に、彦根藩邸があったそうで
高瀬川と河原町の間で、彦根藩が京都の連絡場所として
利用していたということです。
三条駅から徒歩5分の場所にありますが、
目立たないので通り過ぎてしまうかもしれません。
江戸時代後期に、彦根藩邸があったそうで
高瀬川と河原町の間で、彦根藩が京都の連絡場所として
利用していたということです。
三条駅から徒歩5分の場所にありますが、
目立たないので通り過ぎてしまうかもしれません。
本能寺は法華宗に属しておりまして、
宗祖である日蓮大聖人の銅像が門前にあります。
日蓮本能寺の変以前からあるものだそうで、
本能寺の変の後移されたものともいわれております。
市営地下鉄四条駅からほど近い場所で
北むきに烏丸通を撮影したものです。
碁盤の目と呼ばれることもある京都の道路ですが、
実はすべてが正方形というわけでもなく細長い場所もあります。
この辺りは正方形に近い形で通りが位置してます。
烏丸通は全てがままっすぐというわけでもなく、
2か所だったかと思いますが、途中で曲がっている箇所もあります。
ちょうど、寺院がある場所ですね。
バスや車で南北に移動してみると分かりやすいかもしれません。
碁盤の目が出来上がった当初からは時がたち、
地球の軌道も変化しているはずですが、南向きは非常にまぶしい。
どうやって通りの方角を決めたのかと思います。
お昼はこのような状況になりますので、
バスの運転手さんやタクシーの方、営業活動をされている方は
大変だなと思います。
旅行などで、始めて京都で車を運転される方は、
お昼の運転は十分ご注意くださいね。
歩道の横にある立て看板で、
夜だと周りが賑やかなのであまり気が付かないかもしれません。
立て看板には昔の木屋町三条の写真が掲載されており、
高瀬川では明治の終わりまで高瀬舟という船が通り、
船頭が竹竿で舟歌をうたっていたそうです。
とても水深が浅く見えるので、舟が行き来できるようなイメージができません。
現在の高瀬川をみていると、
その頃の様子を一目でもいいので、見たかったなと感じます。