祇園 北座跡
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京都南座は現存しており、現在もたくさんの
方が訪れておりますが、明治25年までは北座もありました。
道路拡張工事の末、今は和菓子屋さんが1階に入る
北座ビルの前に石碑があります。
思い出を振り返る博物館もあるそうなのでぜひ行ってみたいですね。
京都南座は現存しており、現在もたくさんの
方が訪れておりますが、明治25年までは北座もありました。
道路拡張工事の末、今は和菓子屋さんが1階に入る
北座ビルの前に石碑があります。
思い出を振り返る博物館もあるそうなのでぜひ行ってみたいですね。
節分会の時の矢田地蔵尊です。
大き目の鬼とお多福が飾ってありました。
矢田寺、そもそもは紫陽花で有名な奈良の大寺である
矢田寺の別院だそうです。
矢田地蔵尊では、2月3日の9時から21時まで、
節分会(せつぶんえ)が行われるとのことで、
節分限定の『厄除け福だるま』を奉納できるそうです。
五条大橋は一説によれば弁慶と牛若丸が
出会った場所とされていますので可愛らしい銅像があります。
弁慶が夜に京都の街をあるき、武士に戦いを挑んでおり、
ちょうど1000本目に牛若丸が通り…という話ですね。
当時の五条橋は一本北の松原橋あたりだったようです。
五条通り、鴨川にかかる橋です。
古くは清水寺に向かう参詣のための道でした。
もともとは中央部に水神様をまつり、
2手にわかれていたそうです。
1590年豊臣秀吉によって、三条大橋とともに
石柱に改修されました。
江戸時代後期の書店主・尊攘家・西川耕蔵の
邸宅があった場所に石標があります。
三条通の本屋に生まれたが学問を好み、
梅田雲浜に学び勤王家となった。
1864年6月5日池田屋の密議に加わっていたとされており、
新選組の急襲を逃れ、聖護院の寓居に隠れていたところ捕えられ、
1865年斬罪となったそうです。