古都ブログ
鯖街道口
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出町橋の西詰北側にこちらの石標が立てられています。
京都と若狭湾を結び、主に魚の輸送路となっており、なかでも鯖が多く運ばれたことから
「鯖街道」と呼ばれるようになりました。この石標は鯖街道の起点を示すものです。
「鯖街道」は若狭国(現在の福井県)の小浜藩領内と
京都を結ぶ街道の総称で、今の国道27号や367号におおむね相当するそうです。
当時は約80kmの道のりを運び手が輸送していました。
若狭湾から水揚げされ塩づけされた鯖が、一昼夜かけて運ばれ京都に
着くころにちょうど良い塩加減になります。
冬の方が寒さで身がしまり、美味しかったそうですが、
冬は峠越えが厳しく峠越えの最中に命を落とす方もいたそうで
過酷な道のりだったことを想像します。
国道367号沿線等には鯖寿司関連のお店が多く存在しており、
鯖寿司の有名店が軒をそろえています。
京都に来た時には、ぜひ鯖寿司もご賞味ください。
法然院
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京都市左京区鹿ヶ谷にある哲学の道からほど近い場所にある浄土宗系の寺院で、
現在は単立宗教法人だそうです。
山門の藁葺き屋根はコケむしている時期があり、見るだけでも安らぎを感じます。
山門から入ってすぐに両側にある砂壇は水を表すそうです。
白砂壇と呼ばれ間を通ると心身清めて浄域にはいることを意味しているそうですよ。
本堂は通常非公開で春と秋に特別公開されますので、
ベストシーズンの木々が楽しめます。
山が近いので、哲学の道から歩いてくると、空気が澄み雰囲気が一変する場所です。
これからはじまる夏にも涼めるスポットだと思います。
縁切り縁結び碑(いし)
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東山の山麓にある安井金比羅宮の境内には、
「縁切り縁結び碑(いし)」があります。
絵馬の形をしており悪縁を切り、良縁を結ぶ碑として
世界各国から沢山の方が参拝に訪れています。
主祭神である崇徳天皇が戦いによって愛する人と
別れざるを得なかったため、後世の人々が同じ目に遭わないように
悪縁を断ち切ってくださると伝えられています。
高さが1.5メートルで、幅は3メートル程度ですので
大抵の方はほふく前進でくぐることになります。
まずご本殿にご参拝した後に、形代(身代わり御札)に願いを込め
形代を持って願いを念じながら表からくぐり、
また願いを念じながら形代を持って裏から表へくぐり、
最後に形代を碑にはるそうです。
参拝、縁切り・縁結びの祈願は24時間可能という
ことですので朝や夕方などがおすすめです。
廣野了頓邸跡
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三条衣棚通りを下がったところに
「廣野了頓(ひろのりょうとん)邸跡」の碑があります。
安土桃山時代の著名な茶人、廣野了頓の屋敷があった場所です。
かつて、このあたりでは清水が湧いていたらしく
民家の裏には「了頓井」という井戸もありました。
廣野家は足利家の従臣で
義晴、義輝の時代にこの地を領有していました。
その末裔である廣野了頓は
ここに茶亭を構えて茶道を広めたそうです。
当時、豊臣秀吉や徳川家康も了頓邸を訪れて
お茶を楽しんだそうですよ。
菁々塾跡
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「菁々塾跡(せいせいじゅくあと)」という石碑が
高倉錦小路にあります。
菁々塾とは、幕末から明治の頃
西谷淇水(にしたに きすい)という寺子屋経営者が立てた私塾です。
菁々塾はその後「菁々堂」、「私立菁々校」と名前を変えて
私立学校として続きましたが、
昭和の始めに廃校になったと言われています。
知名度はとても低い西谷淇水ですが
京都の番組小学校という、日本最初の小学校を開設し
四番組小学校(現在の高倉小学校)の教員を務めたなど
京都の初等教育の基礎を作った、密かに偉大な人物です。