古都ブログ
東寺の蓮
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東寺では、7月中旬から8月上旬にかけて蓮が見頃を迎えています。
仏教の中でよく登場する蓮ですが、
その由来は、仏教の教えの象徴としてとらえられているためです。
「蓮は泥より出でて泥に染まらず」
不浄である泥の中から芽を出し、
真っ直ぐに茎を伸ばして優美な花を咲かせる様子から
俗世の欲にまみれず清らかに生きる
という意味を持ちます。
早朝に花を咲かす蓮は、昼過ぎには花を閉じてしまいます。
東寺の開門時間は早朝5時なので、
美しい蓮をみるには最適なお寺なのです。
蓮の背景には、有名な「五重塔」があり、
国宝とのコラボレーションを楽しむことができます。
鴨川納涼床
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京都の夏の風物詩として親しまれている納涼床。
その始まりは、戦乱の後、豊臣秀吉によって橋の架け替えなどの
鴨川整備が行われたことからでした。
鴨川の河原は、富裕な商人が見物席を設けたり、
茶店ができたりと徐々に賑わいをみせました。
江戸時代には、歓楽街や花街が更に整備され、
鴨川沿いには400軒を超える茶屋があふれ、
張り出し式の床机を並べた「河原の涼み」と呼ばれる文化が生まれました。
明治時代になって、7・8月に納涼床を出すのが定着し、
今では見ることのない、鴨川の両岸に高床式の床が出ていました。
また、三条大橋の下にも河原から張り出した床が出ていたそうです。
現在では、5~9月までの間、納涼床を楽しむことができ、
格式高い老舗の料理店だけでなく、
気軽に入りやすいカジュアルなお店も増えてきています。
還幸祭
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祇園祭も終盤を迎え、
先日7月24日に還幸祭が行われました。
四条寺町にある御旅所に、
八坂神社から迎えた三基の神輿が安置されていました。
還幸祭は、御旅所に滞在していた神様が八坂神社に還る神事です。
三基の神輿が御旅所を出発して、
それぞれ所定のコースを巡行し、八坂神社へと戻り祭典を行ないます。
優雅な山鉾巡行とは対照に、
「ホイット、ホイット」の掛け声とともに勇壮で激しいのが神輿渡御。
神輿を天に向かって高々に持ち上げる「差し上げ」、
差し上げて右回りに回転させる「差し回し」の瞬間が
一番の見どころになっています。
函谷鉾 山鉾巡行
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祇園祭のハイライトともいえる山鉾巡行が
先日7月17日に行われました。
弊社のご近所、四条烏丸を少し西に入ったところで
くじ取らずの鉾として毎年5番目に巡行する函谷鉾を見ることができました。
函谷鉾の由来は、紀元前270年頃、
中国4君の一人に数えられる政治家の孟嘗君(もうしょうくん)が
部下による鶏の鳴き声の真似によって函谷関を脱出でき、
一命を取り留めたという故事に因んで名付けられています。
鉾を飾る美しい工芸品や染織品の数々。
その豪華絢爛な様子から「動く美術館」ともいわれています。
前祭では23基の山鉾が京都市内を練り歩き、
曲がり角で山鉾が方向転換する「辻回し」の瞬間には、
歓声が上がるなど盛り上がりをみせていました。
長刀鉾 祇園囃子
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長刀鉾の町会所では、宵山や山鉾巡行に向けて
「コンチキチン」の呼び名で知られるお囃子の練習が行われています。
年中通して練習は行われていますが、特に祇園祭の期間は力を入れており、
7月に入ると連日連夜3時間以上の練習が続きます。
演者は「囃子方」と呼ばれ、
「太鼓」・「笛」・「鉦(かね)」の3つのパートにわかれます。
太鼓が全体の統制をとり、笛は旋律を奏で、鉦はあの独特な音色を響かせます。
太鼓や笛は口伝による伝承の部分が大きく、
鉦のパートを理解していなければ演奏することができません。
そのため、囃子方になる人は10歳ごろから練習を始め、
最初は全員鉦を担当し、およそ15年の経験を積んだ後、
やっと太鼓か笛のパートを担当することができます。
また、長刀鉾のお囃子は約30曲もの曲目があり、
シーンごとに使い分けられます。
曲目も多く、大人数で息の合った演奏をするためには
それ相応の練習と経験が必要なんですね。
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