松原通り(京都通り名・東西編⑯)
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「松原通り(まつばらどおり)」
清水寺から新撰組ゆかりの史跡が数多く残る壬生を結んでいる路です。
応仁の乱以降、京都の町は荒廃してしまい公家町を中心とした上京、
祇園社の氏子衆を中心とした下京に分かれ、
今の中京区のあたりは荒涼としていたそうです。
上京と下京とは室町通で繋がっていたようで、
その下京の南の端が五條大路となっておりました。
五條大路は同神社の参詣道となり、
道の両側には松が植えられ松林となっていたそうです。
そして、誰言うことなく「五條松原通り」となり、
次第に五條が取れて「松原通り」と呼ばれるようになったそうです。
現在の松原通は寺町通から烏丸通間はビルやマンションが多くみられますが、
鴨川から東と、烏丸通から西の大部分は路も狭く、
のどかな商店街や下町の雰囲気が残る通りとなっています。
松原通り沿道の建造物
・五条天神社
・六道珍皇寺
・六波羅蜜寺 等